そんな事自分で考えろ。
立って歩け。
前へ進め。
あんたには立派な足がついてるじゃないか
鋼の錬金術師、エドワード・エルリックの台詞から。良い言葉だと思うね。多少なりとも障害を持っている人であっても考えて進むことを止めては駄目だ。人生はそれこそ長い。一時の不安で立ちすくむ事はあっても、自分の足で歩み続けなければならない。
さて、習慣のweb巡回で不愉快なまとめを見てね、統合失調症の当事者を馬鹿にしているまとめだった。2chとかニコ動に行くと統合失調症患者は何の理由もなく妄想で暴れて、殺人をしても無罪放免の無敵の人という考え方が主流である。生活板まとめとか見てると、明らかな統合失調症の患者が嫌がらせをしてきて引越をせざるを得ないという話を見かける。そんな話もあるが、統合失調症の患者は暴れる人ばかりではないのである。むしろ統合失調症を患うと、陰性症状で活動意欲が減衰するばかりである。
統合失調症への差別では以前、こんな話もあった。
2014年に神奈川県で精神障害者NPOがグループホームを稼働させようとした時、近所の小児科医院の女医が反対署名を集めようとしたときの記事だ。医師のはずなのに差別意識バリバリというとんでもない話だ。この医者はヒポクラテスの誓いをちゃんとしているのだろうか。『どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う』とある。それが差別の扇動者になるとは世の医師達の教育課程に疑問を感じる。
統合失調症に対する差別意識は未だ根強いのである。統合失調症の3分の1は寛解し、健常者の様に社会復帰を行う事ができる。それにもかかわらず、統合失調症を患うと一生、精神病院の閉鎖病棟の中で拘束されながら過ごしていくという、偏見が残っているのではないだろうか。精神病者監護法では座敷牢が承認されていた。数多くの統合失調症患者が無治療のままで、一生を狭い檻の中で終えていったのだ。
今の時代は治療法も社会環境も復帰に向けて行われるという前進を見ることができる。だが、未だに一般人の間では統合失調症患者は怖いという偏見が残っている。統合失調症は100人に一人が罹る。誰でも罹る可能性が高い病気なのである。だから、その偏見と戦っていかないといけないだろう。
JPOP-VOICE(ジェイポップ-ヴォイス)/統合失調症と向き合う/体験者トップページ
JPOP-VOICEでは67人の統合失調症当事者の生の声を聞くことができる。医療者からの選ばれた言葉でのおためごかしの台詞ではなく、統合失調症患者がどの様に発症して、どんな経過を辿り、どの様に社会で自己実現していくのかという観点から見ていくことができる。ここで語っている人たちは軽度の人ばかりではなく、未だに妄想を抱えていたり、経済的な不安をかかえていたりするが、社会とどう折り合いを付けるかを考えながら生きている人達である。
統合失調症患者としては軽度の僕から重い当事者に語る言葉は少ないだろう。だが、これだけは言わせて欲しい。希望を捨ててはいけない。医療はどんどん進歩して、社会に復帰できる人も増えている。ただまっすぐに人生を歩むことに専念して欲しい。これから長い間苦しむかもしれないが、将来には明るい光が満ちている。
健常者の方は、あまり偏見を持たないでください。統合失調症は妄想を伴う病気で一目には奇異に映るかもしれませんが、一旦急性期が収まった後は寝たきりになって動けなくなる。統合失調症で見るべきは陽性症状の過激な反応よりは、寝たきりになったり疲れやすいなどの陰性症状の方が主なのです。殆どの患者は、妄想も落ち着いて活動意欲が減衰したか弱い人のほうが多いのです。こちらからも歩み寄ろうと努力している所なので、何卒手を差し伸べてはもらえないでしょうか。
いずれにせよ、この社会はまだ完璧には程遠いだろう。超高齢化社会が進んで誰しも福祉の助けを借りなければいけないかもしれないのに、障害者を殺せという言説がしばしば行われ、それを実行する殺人鬼があらわれたりする。僕らは好き好んで社会にもたれ掛かっているのではない。望まぬ不運で一時的に社会に助けを借りているかも知れぬが、それでも社会を構成する構成員なのである。非力ながらも地域社会や家族などの助けにはなっている。弱き者を切り捨てる社会はいずれ滅びるだろう。僕らも考えて歩き続けなければならない。
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