超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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統合失調症の偏見を減らすためというのもブログを書く理由だったりする。

統合失調症の偏見を減らすためというのもブログを書く理由だったりする。


朝から多少被害妄想でメンタルを拗らせており、若干気持ちが落ち着かない。「またか」という感じで、Awarefyを開いてコーピングリストを確認して、深呼吸をしてメンタルを整える。


最近はセルフケアも随分と上達してきた感じであり、ちょっと被害妄想で気分が落ち着かない時などもすぐに対処できるようにはなった。やっぱ、脳に統合失調症のしっぽのようなやつは残ってるのだろうなーとか考えるのだけど、周りの人によく分からん敵意を感じたりとか、思考がごちゃごちゃしてまとまらん感じがたまに発生するのである。


それ以外はメンタルの状態は健常者と混ざって働いても大丈夫な感じであるのだけど、ワーキングメモリが異常に少なくて集中力がない状態であったりとか、ストレスに弱くて年がら年中病んでる気分というのは治らんらしい。


この辺りの割り切り方はよく分からん。僕はひとまず自分が病気であるという事実は受け入れて、それでもってこれからの人生を少しでもおもしろおかしく生きるにはどうすりゃいいのかーという方向性で生きている。これは、自己憐憫をしてみたりとか世間とか周りの人間を恨んでみるとか、僕はそういう自分の不幸の原因を追求することを一通りやってみたのだけど、これがまーったく無価値で何にもならんのである。


仏教の考え方を知ってみたりとかでわりかし救われるところがあったのであるけど、人生というのは基本的にクソゲーである。その原因を追求してみたところで、ロジックが複合的で回帰的であり、ピンポイントでこれを改善したら全てが良くなるという原因は存在しない。仏教的には「諸行無常」というように表現されるけど、物事は全て流動的で移り変わっていく。一貫してずっと人生が不幸であるとか、ずっと成功して幸福であり続けることはない。人生の幸不幸の浮き沈みは普通である。


一体、自分の人生がどうなっていくのだろう? と考えるとそれは不安になる。これは成功していようが社会的地位があろうがなかろうが全ての人に共通の悩みだ。


たとえば統合失調症なんて病気は、100人に一人が発症するという割と生涯の中で発症する可能性が高い病気であり、おそらく皆さんの過去の学校のクラスメイトの中にも必ず1~2人ぐらいは患ってる人がいるはずである。また、原因としてはストレス脆弱性の遺伝子を持ってる人が、強いストレスが掛かる状況に置かれると発症しやすいと言われており、どんな人でも発症する可能性がある病気である。僕はバリバリに働いていて、今後も昇進したりとかでキャリア的に上を望めるかー? というときにやられた。


僕自身、この病気の診断名を告げられた時は「人生終わったなー」と思った。僕は大学の時は心理学を専攻しており、ある程度最初からこの病気に対する知識というのを持っていたのである。


ネットだと、ドクター林という匿名でメール相談に答えてる精神科医がいるのだけど、そちらの方のホームページを読み漁ってみたりして、統合失調症の妄想という現象の輪郭というのはそちらで学んだ。どうも、僕が統合失調症の病識を持つためには、そちらのホームページで同じように妄想を持ってる患者の支離滅裂な質問を、ドクター林が客観的に分析しているのを読んだのが効果的だったらしい。


ドクター林は統合失調症に関する症例集の書籍も出版しており、そちらは統合失調症当事者や当事者家族にとってかなり役にたつ本じゃないかと思う。



それでまぁ、この病気というのはどんな風になり、どのような経過を辿るのかという事を知り、どのようにして自分の今後の身の振り方をしたらいいか考えた。断薬とか標準医療から外れた事をすると破滅をしやすいというのはなんとなく分かったので、医療や福祉のガイドラインに従いつつ、自分のやれる範囲でリハビリをしようと思った。このブログの毎日更新についても、始めた理由の一つは自分の認知機能のリハビリである。


結果まぁ、ちゃんと社会復帰をして働くことができるところまでは来てるのだけど、これは結果論でしかないのだと思う。僕がなんか言ったところで、後付けバイアスみたいなものが付きまとう。この病気は当事者ごとに千差万別で、必ずこれをしたら治るという治療法はない。ただ、その中では標準医療はちゃんと数字で統計をとって有意差がある治療法なので、一番治る確率が高いというだけである。


僕自身のことではあるけど、なんで今でもこうしてブログで統合失調症のことなどを書いてるかというと、この病気は社会の偏見が半端じゃなく強い病気であるからだ。ブログに関しては半匿名みたいなもんであるけど、ちゃんと一箇所で一つの統合失調症のケースファイルを書き続けることは、たまたま読んだ統合失調症の当事者の参考になるかもしれないし、社会の偏見を減らすための取り組みにもなるかもしれない。


過去を嘆いても仕方ないし、未来を不安に思ってもキリがない。人間が意思の力でできることというのは、現在の状況を分析して、自分の知り得る知識や知恵を絞って、少しでも自分の環境というのを良くしていくだけだ。僕が言えることはそれぐらいだ。

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