超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ネットのペルソナ作りは創作にも似たり。

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今日は朝4時に起きるとベルギー戦のためにTLがサッカー一色だった。僕は別にサッカーは興味がないが、皆が興味を持って応援している事については一緒に楽しむことはやぶさかでない。現時点では勝敗は分からんが日本が有利に進めているらしい。勝てりゃいいですな。


さて、今日はどうするかね。軽くブログ論で2000字埋めてみるか。


朝4時ブログをして気がついた事なんだけど、頭がクリアで書く事自体はそれほど難しくもないんだけど文章にテンションが乗らない。書くネタ自体は前日に考えておけばまぁ問題はないんだけど、文章を書く段階において、そこに込めるパッションがそれほど出てこないというトラブルに見舞われている。


夜22時のブログというのは一日の終わりに日常の総括の意味で綴られる文章だったのですな。だから、一日の生活はそこに向けて集約されており、日中生活しながらネタ集めをするという事もできた。また、文章を書くテンションも深夜に書くラブレターのノリというか、良い意味でも悪い意味でも筆が滑ってスラスラと書き進めることができた。


朝4時に起きると気分がさっぱりしているのよ。僕がブログを書く意味はこんがらがった頭の整理のためでもあるが故に逆にブログが書きにくくなるという皮肉の様な現象が発生しておる。どうしたもんかなこれ、感覚的には文章が淡白になった。書きながら考えるという事をしていないので、文章の起承転結の「承」の部分が欠如している。結末までの助走距離が早すぎる。もうちょっと文章をみっちりと書いた方がいいだろうなと分かりつつ、文体が軽くなっている。


僕は別に朝4時に起きること自体は困難でもなんでもないんだ。朝4時起床は生活のリズムも整って時間の有効活用もできるようになって、いろいろと捗るようになっている。まぁ、ぶっちゃけ朝4時に起きてブログを書こうと思った理由は、夜から彼女と電話する時間がブログに取られてしまってあんまり取れないもんだからブログ書く時間を変えちまおうってな感じで健全だか不健全だかよく分からん理由なんだが、とりあえず気分はすこぶる良い。この、文章を書く上でのテンション問題をなんとか解決できたら一生モノの生活改善ルーティングに加えることができるかもしらん。改善案については走りながら考える。毎日朝4時で書いていればなにかしらの方法は見つかるであろう。


今日はブログを書く上でのキャラクターを考えてみるか。


ネット上で活動するということはペルソナを被って演じている人がほとんどであろう。僕もまぁ、ブログで書いている文章とかtwitterでのキャラクターとか割と素の性格に近いのであるが、やっぱり他人からどう見られるか意識している部分はあるとおもう。本来僕は結構シャイな性格であり、ここまで強く意見を打ち出すタイプでもないのだ。だけどまぁ、なんだかんだで会議などで意見を求められたりするとエキセントリックなこと言って興味を惹こうとしたりもするので、ブログでのキャラクターは素に近いのだろう。


僕はまぁネットでのキャラ作りはそれほど深くは考えている訳ではないんだけど、ペルソナを強く打ち出さないと生きていけない人たちはどうすれば良いのかなどと考えている。ネットのコミュニケーションで良いところで、別に実名さらしてリアルと深い繋がりで本当の性格に囚われなくても、自由に匿名のキャラ作りをすることができるというのがある。こりゃ悪用の方のペルソナの使い方なんだけど、最近あった話で弁護士への懲戒請求を集団で行ってたネトウヨどもは40代~50代の普通の会社員がほとんどだったらしいね。実際の政治活動家みたいな連中が集まってああいうことをしているのではなく、ただの扇動者へのファンの普通の人々が集まってヘイトスピーチやら懲戒請求なんかをやっているっぽい。ネットでの活動はリアルでの日常に縛られないのだ。ほんと、例えが悪すぎて何いってんだかわかんないけど。


ネットでキャラ作りをしている人たちは、ある種の創作活動のようなクリエイティブさを求められるんだと思う。自分の行動に対して一つのフィルターを噛まして、言動を翻訳してネットに抽出する。これは別にリアルでも求められる社交辞令的なものであって、ネットでのキャラ作りに限られたことでもない。コミュニケーション能力のひとつなのだ。どういう魅せ方で自分を脚色するかであって使っている思考の箇所はそんなに変わりはないかと思われる。


ネットはまぁ匿名での活動ができるからどれだけぶっ飛んだキャラクターでも演じることができるけど、その演じているキャラクターには自分がどう見られたいかの願望が含まれているのだと思う。これは女性的な感覚なのかもしれない。女の子は「おままごと」など演じる遊びが多く、人生のステージにおいてもキャリアウーマンや母親の複数の役割を求められる。一つの役割に固執せずに柔軟に生きるやり方ってのが成熟した大人のやり方なのかもしれない。


別に男女同権がどうこうとか言う気はないけど、男性だってこういう側面はあるし、ネットが日常的になった世界ではそれぞれ演じたい役割を自由に演じることができる。どういうペルソナを演じるかというのは小説を書いたりする創作とも繋がる活動とも言えることではあるだろう。心理学的な欲求とはつながりはないかもしれない。


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