千日太郎さんより寄稿文をいただきました!
千日太郎さんは本職の公認会計士で徹底した実務家という印象の方です。文章に無駄な贅肉がない。論理的で適切な表現を選び抜いて書いている人です。
ブログの方では住宅ローン動向の予測記事を書かれているんですが、そちらの方は専門外なんで良く分からないんです^^; でも、REITなんぞを買う機会があるかもしれないんで金利の理解は必要なんで必死に読んでますw まぁ、僕が好きなのはたまに書かれるブログ論ですね。僕と同じ方向を向いている人だと思っております。
千日太郎さんは住宅ローンの賢い使い方についての本も書いています。
千日太郎さんのブログはこちらから。
千日太郎さんの寄稿文はこちらより
どうも千日太郎といいます。ゆきにーさんと同じブログサービスで、普段は実務的な内容の文章を書いています。
ここで言う実務的な文章というのは、何か目的をもってインターネットを検索する人が、その目的を果たすための知識を得たり、問題解決のヒントを得られるような文章を言います。そうした意味では、インターネットに公開された全ての文章は大なり小なり、実務的な要素を含んでいるのかもしれません。
村上春樹の本を読むと、どうも喋り方が理屈っぽくなりますよね、ははは。昔から映画や小説に影響されやすい性質なのです。
私が村上春樹著の1Q84を読んだきっかけは(そこからかい!)少し不思議なんですよね。妻からベッドのサイドテーブルを整理しろと言われまして、ねえコレいるの?と手渡された、ブックカバーを付けたままの文庫本が1Q84でした。
私はこの本を買った覚えが全く無いんですよね。なんでココにあるのか?
妻「どうする?捨てる?」
私「まだ読んでないから、読んでから捨てる」
その時は知らなかったのですがこの1Q84、全部で6冊もあったんですよ!結局、残りの5冊を全て購入して読むことになり、サイドテーブルの本がさらに増えました。とても婉曲な言い方をしましたけど、想定外に面白かったのです。
そして、後から知ったのですがゆきにーさんは村上作品の熱心なフォロアーなのでした。
青豆の章とパラレルワールド1Q84年とは
まず読者は「青豆」って何?って感じで放り出されます。数ページ読んだところでそれがこの小説のヒロイン(女の主人公)であることが分かります。
叙述的なテクニックで、重要なことをあえて伏せたまま場面を進めていき、あるポイントになってから「それ」を明らかにする。読者は「それ」が明らかになってから、居心地の悪さを感じていたそれまでの流れに必然性があったことに得心するのです。
パラレルワールド(並行世界)がこの本の主題です。タイトルの1Q84は1984年の青豆が迷い込んだもう一つの世界であり、彼女がそれに「1Q84年」と名付けたことに由来します。
ストーリーは彼女が知らずにこの並行世界に迷い込んでしまう場面から始まるのですが、その時点ではそんなことになっているとは彼女自身はおろか、読者も分かりません。ただ、何か違和感がある。パラレルワールドに迷い込んだことが決定的になるのは、実に250ページも読み進んだ後なのです。
そういうことをしますと、そのあとの日常の風景がいつもとは少し違って見えてくるかもしれません。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。
このセリフは何度か出てきますが、この並行世界の物語を泳ぎ切るために心に留めておくべき重要なルールの一つです。
天吾の章と小説中のメッセージ
この小説は「青豆」の章と「天吾」の章で交互に進んでいきます。天吾は幼少時代に青豆と心を通じた運命の人です。そのころ天吾は…みたいな感じ。物語の中盤から後半にかけて二人のラブストーリーという色彩が強くなっていきます。「君の名は」のような、会えそうで会えない、切ないラブストーリー。
そして、作中で天吾が書く小説が、あたかも青豆の章であるかのような錯覚を読者に与える仕掛けになっています。
青豆は悪人を人知れずあの世に送る現代版の藤枝梅安という浮世離れした設定、対して天吾は小説家志望の予備校講師という現実的な設定ということがそのように感じる理由かもしれません。
青豆の章は実は天吾の小説の世界なのか?1Q84とは?著者は最後までそれを説明することはしないですし、回収されていないかのように思える伏線もいくつかあります。その代わりにBOOK1の最初の扉にはある詩の一節の訳文が書かれてます。
ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になるIt’s Only A Paper Moon:作曲Harold Arlen作詞Billy Rose & E. Y. Harburg
全てが明らかにはならない世界です。それは現実も同じであり、そうした示唆をしているんじゃないかと思っています。もう一つ作中で好きなセリフがこれです。
説明しないと分からないということは説明しても分からないということだ。
本のどこにあったのか忘れてしまったのですが、なぜかセリフだけが脳裏に焼き付いています。不思議です。多分これは作品を通じて著者の伝えたい重要なメッセージであり、この世界を生きていくための極めて実際的なヒントじゃないか?なんてね。
クリエイティブな文章を書くための条件について
また、天吾は作中でゴーストライターとして「空気さなぎ」という小説をリライトします。この作品は読字障害の美少女が口述で作成したものであり、コアには底知れぬクリエイティビティがあるものの、それを伝える文章としては致命的な欠陥がありました。
天吾は「技術者」として大規模な書き直しをして、謎めいた美少女による新人賞作品をでっちあげるという企みに巻き込まれます。その文章の推敲のプロセスについて書かれているところにすごく共感しました。
増やせるだけ増やすための時間帯が設定され、その次に削れるだけ削るための時間帯が設定される。そのような作業を交互に執拗に続けているうちに、振幅はだんだん小さくなり、文章量は自然に落ち着くべきところに落ち着く。これ以上は増やせないし、これ以上は削れないという地点に到達する。エゴが削り取られ、余分な装飾が振い落とされ、見え透いた論理が奥の部屋に引き下がる。
実は私も本を出しています。文学小説ではなく「家を買う時に「お金で損したくない人」が読む本」という実用書です。
- 作者: 千日太郎
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自分の頭の中にある概念を読む人に伝わるように、最短経路で、ダイレクトに伝わる文章が求められます。芸術作品というよりは、工芸品を作る感覚でした。
分かりやすいダイレクトな言い回し。誰が読んでも同じ理解になるような言葉のチョイス。これを突き詰めていくと「エゴが削り取られ、余分な装飾が振い落とされ、見え透いた論理が奥の部屋に引き下がる。」すげえ!的確すぎる(←語彙力)。
私が書いたのは実用書ですので、あるていど普遍的な、既定の概念を伝えるための文章です。これに対して天吾や村上氏の文章は、おそらくこれまで言語化されたことのないもの、もしかしたらきわめて個人的なものを伝える文章なのでしょう。
もう一つ心に残ったのは、この小説のリライトに天吾を巻き込んだ文芸誌の辣腕編集者、小松のセリフです。彼は天吾がリライトした空気さなぎに一つだけ注文を付けます。ある部分がまだ書き足りないので詳しく描写するように言うのです。
「天吾くん、こう考えてみてくれ。読者は月がひとつだけ浮かんでいる空なら、これまで何度も見ている。そうだよな?しかし空に月が二つ並んで浮かんでいるところを目にしたことはないはずだ。ほとんどの読者がこれまで目にしたことのないものごとを、小説の中に持ち込むときには、なるたけ細かい的確な描写が必要になる。省いてかまわないのは、あるいは省かなくてはならないのは、ほとんどの読者が既に目にしたことのあるものごとについての描写だ」
深く頷かざるを得ないですね。文章を書く人ってそもそもその対象をいちばん分かっている人です。まだ分かっていない人(≒読者)の視点というものは一度分かってしまった作者には手に入れられないものです。
しかし、どうにか分かってほしいのであれば、疑似的にでも「知らない」という視点から見直す必用があるのです。文章のクリエイティビティの本質的な部分ってそういうところにあるのではないかと思っています。
クリエイティブな文章を書くというのは、「何か突拍子もなく新しいこと」を言葉で表現するということではありません。書き手として、どれくらい強く読者に言葉が届くことを願っているか。その願いの強さがクリエイティビティの源泉なのですよ。
牛河という汚い中年男にシンパシー
後半のBOOK3から「牛河」の章が加わり、3人の物語が同時進行で進んでいきます。この牛河は「ねじまき鳥クロニクル」にも登場したキャラクターだそうです。本作では青豆と天吾の脅威となる重要な役回りとして登場します。
私の大好きなキャラなのですが、その容貌が気の毒としか言いようのない強烈なもので、ちょっと引用しましょうか。
歯並びが悪く、背骨が妙な角度に曲がっていた。大きな頭頂部は不自然なほど扁平に禿げあがっており、まわりがいびつだった。その扁平さは、狭い戦略的な丘のてっぺんに作られた軍用ヘリポートを思い起こさせた。ヴェトナム戦争のドキュメンタリー映画でそういうのを見たことがある。扁平なでいびつな頭のまわりにしがみつくように残った太い真っ黒な縮れ毛は、必要以上に伸びすぎて、とりとめなく耳にかかっていた。その髪のありようはおそらく、百人のうちの九十八人に陰毛を連想させたはずだ。
この牛河は、分かりやすく一言でいえば敵役なのですけど、個人的にこの小説の登場人物の中で一番シンパシーを感じました。
だって青豆や青豆サイドの人達はホントに浮世離れしています。青豆なんてストイックで意識高すぎの殺し屋ですし、タマルはシティハンターの海坊主でしょ。そして天吾は一般人ですけどいいヤツ過ぎますね、映像化されたら鈴木亮平がハマりそう。好感は持てるけど共感は出来ない。この汚れた中年の牛河が一番しっくりきました。
また、牛河が丹念に事実を積み重ねながら真相に近づいていくプロセスには現実的な説得力があります。青豆と天吾の精神的なつながりに客観的な事実の積み上げだけで肉薄していく場面は本格推理小説のような読み応えがありました。
牛河が弁護士崩れ、というのも近いものを感じましたね。私は会計士崩れですから…まだ崩れてないですけど。この小説のソウルの部分は言うまでもなく青豆と天吾の章ですが、それにリアリティというボディを与えているのは牛河の章だと思います。
現在2周目です
文庫本で6冊の長編ですが、物語に引き込まれて一気に読みました。今もう一度読み返しています。じっくりと伏線を確認しながら読む楽しみがありますね。前述の「仕掛け」のおかげです。
とくに前半の部分には多くの伏線がちりばめられていますので、ネタが分かってから読むことで一回目に見落としていたことを発見できるのが楽しいです。この小説は、途中から青豆と天吾のラブストーリーが主軸となり、あたかも最初からそうであったかのような演出がされているのですけど、私はこれも並行世界のトリックではないのか?と思っているんですよね。
つまり、青豆と天吾が全く惹かれあわなかった世界から、2人が運命的に惹かれあう並行世界へ、どこかのタイミングで知らずに移動していたのではないか?という仮説です。
だとすると、「シンフォニエッタ」冒頭のファンファーレのような、並行世界への入り口が小説のどこかに隠されているはずです。
そんなわけで、もうすこし村上ワールドに潜ってみたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/05/29
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