前置きを一つ。はてなブックマークがリニューアルされたけど最悪!
見た目では一覧性が悪くなっているし、新着コメント一覧などの位置を記憶しなくなった。詳しくは下記を参照。
コメントの個別表示禁止を廃止したりブログ運営を考えた機能面でも使いにくくなっている。巡回先ではてブの個別ブロックが使えなくなって、ブコメ全面表示禁止に追い込まれたブログも見かけた。
これ一体誰のためのカスタマイズなんだろう? はてブをキュレーションアプリとして使っている古参には一覧性が悪くなって不評だし、コミュニケーションツールとして使っているニュービーには個別ブロックが使えなくなってネガコメが抑え込めなくなって不評だろう。ユーザは誰も納得しないと思う。
この改悪とも言えるはてなブックマークのカスタマイズには僕も齋藤さんと同意見だね。すぐに戻して欲しい。
さて、本題に入ろうかな。
昨日、こんなエントリーを書いたんすよ。
これは自分の自己肯定感がどんな感じなのかみたいな事を書いたんだけど、特に深いことを考えて書いたわけでもない。昨日は妹を飲み会に送り迎えしないといけなかったから1時間ぐらいでちゃちゃっと書いた。
そして、しばらくして新着ブログの更新を確認しているとりずろぐさんの次のエントリーを発見した。
それに対するレスポンスでMilkのメモ帳さんでこんなエントリーが出されたんですね。
短期間に自分の観測範囲で次々と自己肯定感に関するエントリーが出てきたので不思議な感じがした。何ぞシンクロニシティでも起こってるんだろうか?とかどうでもいい想像をしてたんですね。
それにしてもりずさんとMilk氏の考察と比べると僕のエントリーはひどい。笑いを取りに行こうとするペルソナと真面目に考察するペルソナが微妙になってダダスベリである。こんなエゴイストのダメ人間がただふざけているだけのエントリーはあんまり弄られたく無いなと思ったら、僕のブログにしてははてブの伸びが好調 orz 言及まで来てしまった! orz
あけみさんに詫びなきゃいけなんだけど、僕もそんなに自己肯定感ばっちしという人間というわけでもないのよ。言及されたエントリーはかなり過激な論調で飛ばしてるんで、不愉快にさせたんだったらごめんなさい m(_ _)m
あけみさんが結構シリアスに苦しんでるっぽいんで、りずさんとMilk氏の自己肯定感に対する考察を読んでもらいたいなと思って今回はこういう形式を取らせてもらった。僕が書いたエントリーもふざけて書いてるが内容に関しては文責は持つけど、論理性に関してはMilk氏の分析の方が上だと思うし、りずさんも内省を文字にすることに成功しているので読んで共感する所があるだろう。ぜひ読んでもらいたい。
一応、真面目に自己肯定感に関してまとめておこうかな。
僕はそれなりに馬齢を重ねているんで無闇矢鱈に自信を失って迷走するって行動は取らなくなった。20代ぐらいだったらアイデンティティがまだ完璧に完成していないんで色々と迷うのは普通だろう。加齢というのは精神の安定にとってポジティブな方向に進む。むしろまだ20代だったら色々と悩んでいろんなことに手を出したほうが将来のためになる。30代を超えた辺りで、特に理由はないけど考えにまとまりがついて性格が落ち着いたって感覚は分かってくるかと思う。別に焦る必要はない。
家族のこととかが性格の悩みの原因だと多くの人々が思ってるみたいだけど、そういうのは後付の理由なんだ。そういうトラウマ的なものに惑わされて色々と理論づけして問題を複雑化させるのは無駄な努力なので辞めておいた方がいい。人格の成長は論理的なものじゃないんだ。いろんな役割を果たしたりとか、人生のイベントをこなした上で「なんとなく分かる」成長があるはずだ。そういう内観を大事にした生活が自己肯定感を育てる上で重要になってくる。
僕の言葉だけでまとめてしまうと説得力が無いので、僕の座右の書、アランの「幸福論」の一言で締めさせてもらう。
悲観主義は気分のものであり、
楽観主義は意志のものである。
およそ成り行きにまかせる人間は
気分が滅入りがちなものだ
ポジティブだとかネガティブだとかいう感情は自然に決まるものではなくて、本人の意思で決定するものなのよ。気分のままに生きるということはネガティブになりやすい。それを回避するためにはアランが言うところの「上機嫌を練習する」というコツがいる。別に難しいことではない。不幸な気持ちにフォーカスを当てなければいいのである。人生で起こる幸不幸を乗り越えるためには、意志の力で良い面を捉える努力をするのが幸福になるためのたった一つのコツだ。