超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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チャンスを掴むにはちょっとしたきっかけと少しの勇気があればいい。

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下記を見て欲しい。今日でこのブログは600日連続更新なのよ。


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一応、ここまで来るのに苦労はしているから褒めては欲しいけど、別にそこまで凄いことだとは思わない。毎日更新は内容にこだわらず書き続けるだけならばそれほどの難易度ではない。僕の観測範囲では、はてなダイアリーで11年間毎日連続更新って人も見かけた事があるし、僕程度はまだまだひよっこ程度だ。600日程度はまだまだ通過点。僕の最終目標は死ぬまで書くことである。


それよりもこれからはちょっとは内容の深さを高めていく方向性でブログ執筆は進めていきたいなーって思ってる。僕の悪い癖なんだけど、僕は元々2ch出身のネットユーザーであるが故、ネットでのコミュニケーションは煽り煽られを普通だと思っている。だから、理論展開が極論に傾きがちなのよ。読者を引きつけるためには強い口調で極論を書かないといけないと思っているフシがある。


自分が今まで書いてきたエントリーを読んでいると煽りタイトルとか煽り文で書いているものとか結構多くてな、読者がじっくりとアーカイブを読んで面白いコンテンツとは言い難いんじゃないかな?って反省しちゃった。リライトとかもブログ運営の一つの作業だし、時間を見つけて情報の補完とかはしていかないとなーとは思っている。


んー、まぁ、アクセス数とかアフィリエイトの額とかは多ければ多いほど良いとは思うんだけど、僕のブログはそういうのってあんまり積極的じゃないのよ。一応、僕の生業はwebプログラマーなのでSEO施策とかアフィリエイトASPはいろいろと調べて知っている。でもって、実際、このブログでもさまざまなSEO対策やらGoogleアドセンスの導入はしているんだけど、それがブログ運営のメインじゃなくておまけ程度。一応、はてなブログProにしてたりドメイン代が掛かったりはするのでそれはペイする程度の稼ぎは欲しいかなと思っているけど、ブログ運営は黒字経営で出来ている。


僕がブログを書く目的ってのは文章を書いて色んな人が読んでくれると良いかなーとかそれぐらいの思惑で続けているってのが本音。かつてのテキストサイトとかあんな雰囲気の文章を書けないかなと思って色々と試行錯誤しているのよ。それとこれは昨日も書いたけど、僕は毎日日記を書く習慣を持ってたから、一日の終りに今日のまとめを文章にまとめないとなんとなく収まりが悪い気持ちになる。毎日文章を書くというのが生活の一部だから、時間になるとキーボードを叩き始めて何かしらの文章をしたためてブログ更新するってのが癖になっちゃってるのね。


だからまぁブログを始めて12年。連続更新で600日と書き続けているんだけど、これは通過点の一つだろうなーって意外なほど冷めた目でみている。毎日書き続ける事自体がわりかし楽しいので、毎日決まった時間にある程度の量の文章をコンテンツとして提供するというwebサービスとして続けていけたら良いけどなと思っている。僕のブログが目標としているのは、ほぼ日刊イトイ新聞糸井重里さんみたいなコンテンツメーカーかな。毎日昼休みに読んでいるけど長年安定したコンテンツを提供し続けている糸井さんは凄い。安定した内容である程度の分量の文章を毎日綴っていくというのは重労働である。毎日読んでくれているファンを飽きさせないためにはインプットとアウトプットの両輪をちゃんと回転させて毎日気を抜かずに書き続けないといけない。多くのファンが付いているコンテンツメーカーというのは深い人間への理解を持っている。僕が目標としているのもそういう境地である。


さて、1500文字も前置きで書いちゃった。今日の本題は自己肯定感についてちょろっとまとめておこうかな。


ネコ師匠がこんな事を書いていた。


gattolibero.hatenablog.com


自己肯定感の低い人に自己肯定感を持たせるためにはどうしたら良いのか一つの回答が出されている。


そりゃまぁそうなのだが、自信がない人に「自信を持て」と口先で励ました所でなんの改善もないのね。だから優れたメンターは自己肯定感の低い人を励ます色んなテクニックを持っている。


ネコ師匠のエントリーでも書かれているんだけど、自己肯定感の低い人はその肯定感が低い自己像を信じているのね。だからまずはその自己像を砕くことから始めないといけない。自己啓発セミナーでは取り囲んで罵倒してプライドを砕いた上で傷ついた所で優しくして教義を刷り込んだりするんだけど、そういう方法は例外的だ。


僕が思うところでは他者への信頼がないと何も成り立たないと思うね。まずは安心して自分を出せる場を確保するのが最優先。自分を信用していないのと同じぐらい他人も信用していないのよ。本当に自分を任せられる他者の存在を感覚として理解できないと自分を出すのも難しいかなと思う。本来そういうのは母親とか家族とかの存在になるんだろうけど、そういう家族が不全な状態だと自己肯定感が育たない。


一体、そういう人にどういう風に肯定感を与えるのかって考えたけど、対人関係の経験値を積むしか無いのかなって気もする。肯定感が低い人は他人を恐れているけど、色んな人の考え方は自分と共通点がいっぱいある事を実感できたら、自分の恐怖心は自分が思っているほど深刻じゃないことに気がつくと思うんだけどなぁ。


真に心から信頼できるメンターがいれば話が早いんだけど、そういう出会いは多くはない。だけど、心を開いて話してみると友人とか意外な所でメンターが見つかったりするんだ。機会は色んな所にあるんだけど、自分で踏み出さないとその機会は逃げていく。恐れに立ち向かうのは勇気だ。

今日逃げたら明日はもっと大きな勇気が必要になるぞ!

ANGEL VOICE 二宮 修二

ANGEL VOICE (漫画) - Wikipedia


こんな感じで如何でしょう。


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