超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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信じるものは足下を掬われる。

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さて、このブログの僅かな読者諸氏ならご存知だろうが、金曜日の夜は一人で晩酌デーだ。テメエの様な零細ブログのことなんざ知るかという人が殆どであろう。今日はね、ちょっと豪華に居酒屋と併設されている炭火焼き焼き鳥を肴にしてチューハイ飲んでるの。野原ひろしではないが「カ~ッ! この一杯のために生きている」って気分なのよね。というわけで、今週も酔っぱらいの精神障害者が殴り書くよ(^O^)/

 

さて、暇人の僕はこりもせずブログ村のランキングのサルベージを進めていた。ちょっと観測範囲を広げて、メンタルヘルスカテゴリのランキングに挑んでいた。なんというかね、メンタルヘルスカテゴリの1位がスピチュアルブログだったのよ。そこからリンクをクリックしてスピチュアルカテゴリーをヲチしてみたのよ。実に多彩な神々の世界を覗くことが出来た。なんだろうね、あんなの信じてたら地獄に落ちるよ? いや、マジで。

 

さて、以前も書いたことがあるが僕は民間療法の新興宗教にハマり、地獄を見た。詳細は省くが、教祖は神様の中でも凄い神様を使役して、人々を幸福に導く使命があると宣伝していた。集団ストーカー妄想も簡単に救う事が出来るということで、僕は信仰の道を歩むことになった。結局のところ、急性期で暴れるようになった僕はあっさりと教祖に”切られた”。

 

あの人種の人々はね、綺麗事は沢山言うが、実際に信者が苦しい境遇に落ちてどうしようも無くなった時は捨てるのよ。普段の日常でも教祖のお世辞を言って持ち上げるのが当たり前、病気が治らないのは信者の信仰が足りないから、治った場合は教祖のお陰。そして、病気の信者が死の淵に行ったり、暴れだして手が付けられなくなるとあっさりと見捨てる。

 

いまでもトラウマなのだが、僕が急性期に入り暴れだすようになると、教祖は家族に命じて僕の携帯の教祖の電話番号を消すように最初に指示した。あの信者たちの間では教祖に切られると不幸になるってのが定説でね、おかげさまで僕は精神病棟のなかで家族に不幸が訪れているのではないか、神様に監視されているのではないかという妄想に囚われることになった。トラウマだけ残されて、後には何も残されなかった。言われたとおり不幸になった。不愉快だが。

 

今では、新興宗教やそれに類するスピリチュアリズムは敵である。それらのものは腹を切って死ぬべきだ。またそれだけではなく、地獄の火に投げ入れられる者達である。いや、マジで滅ぼさないと不味いと考えている。

 

連中はさー、底が浅い思想しかないのよ。キリスト教やら仏教辺りの伝統のある宗教ってのは、そう簡単に救われるとは明示せずに信仰を深めていく事で自己の理解が深まるようになっているんだけど、新興宗教やらスピリチュアリズムってやつは、その伝統宗教の良いところだけ掻い摘んで、苦しくなる信仰での己と神との対峙の部分を全部取り除いて、教祖に信仰が集まるようになっている。救われるには教祖を信じるしか無いというようになっているのよ。インスタントで薄味な浅すぎる教義を世界で唯一無二と崇め奉り、利益と信仰が教団に集中するように構成されている。こんなものは宗教と呼ぶのもおこがましい。

 

人生の指針として信じるものがやっすいスピリチュアリズムというのは不幸なことである。世の中には思慮を深めるためにさまざまな書物がある。読むべき本は経験則的に、お手軽な新書とか自己啓発本ではなく、全集が出されているような思想書とか小説がいいね。小説は良い。人生で突き当たる壁を乗り越える方法を小説は提示してくれる。僕は桐野夏生高村薫の小説から色々な事を学んだ。小説家は人生をシュミレーションして、自己実現に向けて進む方向を物語として提示してくれる。良き物語は人生の叡智が全て詰まっている。スピリチュアリズムに傾倒するよりは小説の一冊でも読んだほうが人生を学べる。

 

結局のところ、僕が求めるのは良き物語なんだよね。新興宗教陰謀論の様な悪しき物語を吸収して、再構成して昇華していくような物語を提示できないかといつも考えている。積極的にそれをしているのは村上春樹ぐらいしか知らないけど、僕も参加してみたいなと考えているのだ。それでも手が動かないのがワナビたる所以である。

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