村上春樹は好きな作家だ。しかしながら、これをおおっぴらに公表してしまうと一般的な文学ファンには馬鹿にされる。 「えーマジ村上!?キモーイ」「村上春樹が許されるのは小学生までだよね」「キャハハハハハ」てな感じである。毎年、秋のノーベル文学賞授賞式には、ブックメーカーが高評価を付けて、ハルキストと呼ばれる方々が一方的に期待を寄せて落胆するというのが2006年から続いているという。なんだかなぁ。
そもそも、村上春樹はハルキストはそんなに好きじゃないみたいよ? 『村上さんのところ』で質問に答えていたけど、毎年、ノーベル文学賞関連で騒がれる事にうんざりしてるみたい。僕も熱狂的に騒ぐハルキストとは距離を置きたいところだ。村上春樹は好きだけどさぁ、あんな騒ぎ方は村上ワールドとは一番反対側の方向のやり方じゃない? 上記であげた母校に集まってノーベル文学賞の受賞に対して「ボブ・ディランは歌手やろ」と落胆する方々は、村上春樹の美的感覚とは対極に位置するんじゃないかな?
村上春樹はねぇ、好きだと公表すると馬鹿にされるし、反対に叩くとお前は村上以上の比喩を書けるのかと突っ込まれるし、ワナビとしては痛し痒しの存在だ。偉大なる目の上のたんこぶである。この人以上に読まずに批判される方もいないのではないだろうか?
村上春樹っぽい文章を書こうとしているらしいが、彼の比喩能力には全然届いていないだろう。村上春樹の文章表現は全然関係ないものを比喩に使いながらもそれが目に浮かぶように描写してしまうというところである。
22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。
広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。
それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。
そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。
みごとに記念碑的な恋だった。
恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。
さらにつけ加えるなら、女性だった。
恋を竜巻に例えてしまう、それも冒頭でこんな無理筋の比喩を読ませてしまう文章力が彼の凄まじさである。適当に「やれやれ」とか書いてれば良いのではない。それっぽい文章は真似して書けるけど、彼の比喩のオリジナリティは真似しようとしても真似出来ない。どこから何を持ってくるのか想像もできないのである。それでいながら、物語世界にグイグイと引っ張っていくような自然な文章にしてしまうんだから凄い。
それにしてもボブ・ディランか。多分、村上春樹はボブ・ディラン大好きだろうから、彼は逆に喜んでいるんじゃないかな? いずれにせよ、毎年のノーベル文学賞騒ぎは見苦しい。やれやれ。

- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
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