超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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良い文章、良い音楽を摂取することは良い生き方につながる。

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良い文章、良い音楽を摂取することは良い生き方につながる。

エッセイ的なものを書きたいよね


最近の出来事としては、会社ではFlutterでアプリ開発を行っており、わりかし新しい技術で開発を行ってるので何かしらQiitaとかにメモを書き残しておきたいなと思う所。でも、自分個人で開発しているならともかく、会社から金をもらいながら開発を行ってるので、会社で共有を行ってるEvernoteに記録を付けている。


日記的な記述を増やしたいよね。僕のブログはなんか下手に情報を紹介するようなお役立ち記事を書いてしまおうとしてしまうけど、なるべくならば文章で読ませるエッセイ的な記事を増やしていきたいと思っているのである。文章も固定観念ができてしまうと駄目ね。毎日更新を行っていると、同じような文章ばかりを書いてしまって、書いている本人もルーチンで楽しくなくなってしまう。文章を書いていて面白い事は、意外な気づきだったりそういう所なのに、毎日お決まりの事を書いて、似たような結論ばかりなのは書いていて面白くない。


日常の中の細かな出来事にフォーカスを当てて、そこから気づきを文章に起こしている文章が自分が素晴らしいと感じる文章だ。一輪の花、一杯のコーヒーからでも物語が生まれるし、それに気づけるような繊細な心持ちでありたいな。


なんか、自分は繊細さとは無縁というか、感受性が死んでいるんですよね。「もののあはれ」こそブログでの随筆的な文章で目指していく事なのに、トンカチでガンガン、ドラム缶でもぶん殴ってるような、繊細さとは無縁な無粋な事ばかり書いている。一応、僕は小説を書いたり絵を描いたりして創作をやってる人間である。こんな人間なのに感受性が終わってる状態じゃ、ろくな作品を作ることができないだろう。

感受性を鍛えるというのはどうすればよいのか?


どうやって鍛えるんでしょうね? というかこういう性質というのは生まれついてのもので、後天的に努力してどうにか?という部類のもので無いかもしれない。だけど、いらん刺激を受けない様にする事は重要だなと非常に感じる。


村上春樹さんがユニクロのインタビューに答えているページがあったのだけど、このような記述があった。


www.uniqlo.com

Q15. SNSはいっさい見ないそうですが、その理由は?

大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない。

ユニクロ | LifeWear magazine | 村上春樹に26の質問


村上春樹さんがすべてにおいて素晴らしいとは言わないけど、僕は生き方の結構な部分を村上さんの生き方から学んでいる。文章を書くためにはフィジカルが重要だということでランニング習慣を真似してみた事もある。


読んでいる文章というのは少なからず考え方や生き方に影響を与えてくるのだけど、現状のゴシップまみれの週刊誌みたいなSNSに長期間滞在して好影響を受けるはずがないんですよね。何度もこのブログでも書いているけど、殊更に誰かを非難する事ばかりに特化した場所にいる事で良い事なんてなにもない。twitterの様に情報の流れが速い場所にある文章は上等な文章ではない。

金を出してでも上等の文章を読むべきかもな。


どうなんざんしょ、SNSばかりを見ながら感受性を鍛えようというのは、ジャンクフードばっかり食べて健康な体を作ろうという不毛な努力をしているように感じるよ。どうせ読むんであればプロの書いた、ちゃんと意味の込められた文章を読んで喜んだり腹を立てたりした方が感受性には良いであろう。雑な刺激に雑な反応するのに慣れてくると、生き方まで雑になってくる。


何を読むべきかー?と問われたら、それは個人でそれぞれ好きな綺麗だと思う文章を読んでいればよかろう。何かが綺麗だと思う審美なものは相対的で人それぞれであろうし、それを美学的に探究していく生き方というのも面白そうだと思うのだ。しかしながら、古典と呼ばれる昔から読み継がれている書物については、人類の普遍的な善きものが含まれている。普遍的なものも知らずに新しい情報ばかりをありがたがるのは、はねっかえってるだけだ。

まとめ


最近はミヒャエル・エンデの「モモ」を読もうとしてたりだとか、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」をオーディオブックで聞いてたりだとか、なるだけ良い文章を丁寧に探して摂取する様にしている。文章を読める時間というのも奪い合いなので、良い文章を読む時間を増やしたらならばまずい文章を読む時間は減るだろう。読む文章聞く音楽というのは考え方にも影響するので馬鹿にできないところがありますぜ。

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