超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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山田ズーニー著『理解という名の愛がほしい。』を読んで。

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さて、今日の夜は飲み会なので会社の昼休みにちょっぱやで書く。思いつきでだだーっとばばーっと書く。


さて、昼休みにはいつも「ほぼ日刊イトイ新聞」を読むのであるがその中でも「おとなの小論文教室。」が好きだ。


ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。


山田ズーニーさんというライターの方が書いているのだが、色々と深くて考えさせられる内容が多い。人生の中でおいて「書く」という行為について深く考えているのがこの人のコラムの特徴だ。ズーニーさんの著書の『理解という名の愛がほしい。』の感想など。




そりゃま、僕もブロガーなので人並み以上に「書く」という行為には依存している所があるんだけど、本職となるとまぁ全然レベルが違う。書くことに対して人生が掛かっておるのだ。ズーニーさんは大学で文章教室などをやっており、自意識と文章についてずいぶんとこだわりのあるコラムを書く。


僕が書くということはどういうことなんだろ?みたいな事を考えるのであるが、このブログで書いているのは完全に髪の毛とか爪とか、そのたぐいの生きていると出てくる不要物である。日中に有り余った感情を、夜にブログに叩きつけるという習慣のために生み出されたものである。そのため、書くときはまったくなにも考えていない。・・・いや、考えずに文章を書くというのは不可能なんだけど、ブログで書いている文章ってのはキーボードを叩く手に引っ張られているって比喩で表現されるものである。構成もテーマもその場しのぎの即興で全部書いている文章なのよ。


僕の属性には「小説家ワナビ」って属性もある。東方Projectの二次創作だけど中短編ぐらいの小説を書く人間なのである。どんなもん書いているかっていうとこんな感じのを書く。


www.pixiv.net


www.pixiv.net


アホじゃないかと思うんだけど、二次創作の小説を一つ書くのに年単位の時間を使う。プロットを組み立て、キャラクターの設定を構築して、綿密に構成も練った上で執筆するのである。文章に関しても雰囲気を作るために比喩や形容詞を工夫して、かと言って紙面が黒くならないように難読文字はひらいてわかりやすく、などの推敲を重ねた上で書く程度には文章表現にもこだわっているのである。


一応、小説家のワナビなので、プロになりたいという思惑はあるのだが、これは宝くじが当たればいいなぐらいのゆるい願望である。別に作品を書く目的にしても公募などに応募するためというよりは、自分が読んだり他の同好の士に読んでもらってちょろっと感想が貰えれば良いなぐらいの感覚だ


ズーニーさんの本を読むと長年勤め人をしてたのがフリーランスのライターとして独立した。そのときは社会に対する孤立感とかと戦ってきたみたいなんだけど、それに対して文章に対する情熱で立ち向かってきた。ライターという仕事に人生を賭けている様なひとなのよ。僕は文章書くのは好きだけど、それで金をもらう仕事にはしたくないけどなぁと思った。


僕は文章書くんであれば好きなことを書きたいのよ。ライターみたいな仕事だと、何かしらのテーマとか納期を与えられてその制限内で書かないといけない。ちょっとでも文章を書きなれている人なら分かると思うけど、この両者にはマリアナ海溝よりも深い溝がある。好きなことを1万字書くならば時間があれば誰でも出来るけど、何かしらの目的を持った文章を1万字書くのはある種の才能が必要とされる。


ブログにしても雑記ブログで好き放題書くのは楽しいんだけど、商品を紹介して金を稼ぐために商売としてブログをやるのは苦行である。プロブロガー人種などが「好きなことを書いてたら稼げるようになりましたー♪」みたいな事を言ってるけど、あれは射幸心の高い信者を集めるための撒き餌の様なものなので気をつけよう。ブログで稼ぐということは仕事である。検索受けするテーマを見つけて、キーワードプランナーなどで調べた語句を検索受けする文章を作って、不自然にならないようにアフィの商品を紹介するまでがセットなのである。ただ文章が書けるだけでは金にはならない。下手すりゃそこらの会社員よりも厳しい仕事だ。


アフィリエイトでライターが書く文章は商品を売る仕事だけど、エッセイストが文章を書く仕事で自意識を一つの芸術として美しく表現するための文章ってのはどれだけの難易度なんだろう?と想像つかない。・・・いや、ワナビなんでなんとなくは分かるんだけど、そこまでの深みにたどり着くにはどんな人生経験すれば良いんだろう?って先人たちが書いてきた小説やエッセイをみてその高みにオロオロするのよ。僕の書く文章ってのは「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」と表現されるものにすら麓にもたどり着いてなくてさ、ただ書けるから書いているって部類のものなのよ。何が足りないって深さが足りない。まだ人生の浅い所しか表現できてない。



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