超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕にとっては珈琲は自由の味なんだ。

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アンニュイな日曜日の夕方に一杯の珈琲を嗜む。素晴らしい人生だ。なんというかね、珈琲の苦さは人生の苦味だよね。深い経験を味わった人しか、珈琲を真に楽しむことは出来ない。このちょっとした余裕の時間を過ごすことで、日常茶飯事をやっていこうという気力を取り戻すことができる。


と、気取った文章から始めたエントリーだが、僕は全然、珈琲豆の事など知らない。分かっていりゃ深いトークが出来るとは分かっているんだが知らないんだから仕方あるまい。飲んでる珈琲もスーパーで買った一袋400円のどこの豆使ってんだか分かんないスペシャブレンドである。いいんだ別に。僕は珈琲を飲むという時間が好きなのである。専門店のクソ高い1杯800円もするキリマンジャロだろうが、特価で一袋400円のスペシャブレンドだろうが過ごす時間には変わりない。


珈琲には思い出があってね、僕にとって珈琲とは自由と開放の味なのである。ちょっと前の昔話になるが読者諸氏には付き合ってもらおう。


かつて統合失調症の急性期で自殺未遂をした僕は、精神病院の閉鎖病棟に担ぎ込まれた。経験がある人なら分かるだろうが、ここは自由とか余裕とかいう言葉とは無縁の場所である。時間がガチガチに縛られていて、定時に叩き起こされて定時で消灯。もちろん外出なんかはできず、いつまで経っても未来が無さそうな重症の精神疾患者と同じ部屋に叩き込まれる。音楽なんかは掛かっておらず、妄想を持った患者のでたらめな濁声だけが響く空間である。


閉鎖病棟では飲み物なども制限される。決められた時間なら売店に行って自動販売機でコーラなどを買うこともできたが、それ以外の時間は水かお湯だけである。冷水機が置かれていて、そこから何の変哲もない水がでてくる。これだけでは相当に厳しい。なので患者同士で麻薬のように取引されているものがあった。インスタントコーヒーである。


普通の社会では大した価値が無いものだが、閉鎖病棟のなかで異様に価値を持つものがある。例えば煙草である。閉鎖病棟のなかでは煙草も一日10本と数も制限される。だがその制限を潜り抜ける方法も無いわけではない。喫煙室でたむろって、まだ今日の煙草を持ってそうな何人かの人を強請ればいいのである。運が良ければ(その人の機嫌が良ければ)半分ぐらい吸った煙草をおもむろに渡してくれる。中にはケチなのもいて1本50円ぐらいを取る奴もいる。患者内でも権力闘争があって、力がある権力者は、だれかから煙草を巻き上げて一日中、喫煙室でスパスパとやっていた。


僕が居た閉鎖病棟では、何故かインスタントコーヒーも隠れて取引されていた。珈琲と煙草が同じぐらいの価値を持って取引されていたぐらいだ。だが、この珈琲は非常に質が悪いものだ。お湯の温度が低くて、インスタントコーヒーが解けないのである。だから粒子が残ったぬるい珈琲をすすり込む事になるのである。


患者の中で生活保護をもらったばかりとか家族から生活費の差し入れがあった人は、売店でインスタントコーヒーと砂糖を買う。それを鍵が掛かる部屋のタンスの中にしっかりと隠して、あんまり人が居ない時にこそこそと珈琲を飲むのである。何故、こそこそと飲むのかというと、珈琲を持っている事を他の患者に知られると強請られるのである。閉鎖病棟の治安は悪くて、お菓子などを買ってきて食堂で食べようとすると知らないオッサンが隣に座って、自分が全然食べていないのに全部奪って食べる事がある。だからお菓子や珈琲は鍵がかかるタンスにしっかりと仕舞って管理しないといけないのである。


僕は金は持っていたがアホらしいのでインスタントコーヒーは買わなかった。権力抗争に巻き込まれたく無かったのだ。患者たちは珈琲を持っている患者の回りに集まって頂戴頂戴と強請り続けるのだ。持ってるものは自然と患者間階級も高くなる。中にはトレーダーのごとく大量にお菓子などを所有して、色んな物と取引している者もいた。突然、「珈琲かお菓子持ってるか?!」と隣にきて叫んで、何も持っていないと知ると存在を無視して歩み去るジジイもいた。僕はここで物を持っていると危ないと思い、何も所有してなかった。階級はそんなに高くなかったのである。


ここまで大航海時代の胡椒のごとく珍重されている珈琲であるが、前述したように粒子がちゃんと解けていないぬるま湯のニガニガ汁である。僕は全く魅力が分からなかった、未だに何がここまで彼らを熱狂させていたのか分からない。なにか精神病院内に広がる迷信のようなものがあったのかもしれない。だから、インスタントコーヒー取引とは関わらないようにしていたのだ。そのため、しばらく珈琲というものとは縁遠くなっていた。


やがて、症状が落ち着き、主治医から外出しても大丈夫ですよとお墨付きをもらった。外出日は一週間も前から期待して待ち続け、やがて家族が迎えに来てくれた。3ヶ月ぶりに床屋に入り頭を軽くして、数カ月ぶりにコンビニに入った。コンビニという場所が、こんなに明るくて清潔で精力に満ち溢れた場所だったのだと、閉鎖病棟に入って初めて知った。お金は極わずかしか持っていなかったので、コンビニコーヒーを買った。


その時飲んだ珈琲がとんでもなく美味かった。これまでの人生で珈琲がこんなに美味しいと感じたことは初めてだ。例えば、網走刑務所で何十年もの刑期を終えた老人が、シャバに出てきて最初に吸った一本の煙草のようだ、と例えて伝わるだろうか? 閉鎖病棟で飲むニガニガ汁とは全然違った。その珈琲は、自由とか、人権とか、そんな人間の根幹に関わる思想の味がした。


そこから順調に回復の道を歩み、自由に珈琲を飲める境遇になったものだからありがたいことだ。今でもコンビニコーヒーを飲むとたまにあの時の味を思い出す。美味い珈琲を飲める日常生活というのは貴重なんですぜ? 僕はこの長話のなかでそれを言いたかったのだ。

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