超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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人生の9割ぐらいは他人との関係性で決まる。

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さて、今日は考え方カテゴリで一つ書くか。前置きと本題はバラバラのように見せかけてちょっとだけ共通点がある。



togetter.com



メンタルが安定している人は他人の評価を当てにしないって趣旨のツイート。たしかになーと思う。言っちゃなんだが自分のことを本当に心配して、責任持って守ってくれる人なんて居ない。他人に振り回されると精神的に疲弊していくばかりで対して良いことなんて無い。精神的な自立を図ることが心の心の平安につながる。


たしか、ユダヤ人の教えだったかな。こういう言葉がある。

「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、一体、誰が自分のために生きてくれるのだろうか」というユダヤ教の教えがあります。どんなことをしても自分のことをよく思わない人はいます。10人の人がいれば1人はあなたのことをよく思わないでしょう。10人のうち、7人はその時々で態度を変えるような人です。

一方、残りの2人くらいは何をしてもあなたを受け入れてくれる人になってくれるはずです。あなたはその「2人」と付き合っていけばよいのであって、残りの8人、とりわけ何をしてもよく思わない1人のことで心を煩わす必要はない。それより大切なのは、自分が自分のために自分の人生を生きることなのです。

人目や他の人からの評価を怖れないために必要なのは、他の人の人生ではなく、自分自身の人生を生きる勇気です。

どうしたら「人目」から解放されるか-10人いればそのうち2人と仲良くできればそれでいい:日経ウーマンオンライン【アドラーに学ぶ 人と人の間のこと】


これに関してはいろんな名言が示しているよね。武者小路実篤がこんな事を言っている。

君は君
我は我也
されど仲よき

武者小路実篤

「君は君 我は我也 されど仲よき」


人は人自分は自分。それぞれ袖振り合うも多生の縁でつながった仲だ。僕は僕のために生きるし、貴方はあなたのために生きる。お互いに束縛せずに尊重しあえる態度を維持できてたら心地よいだろう。

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ゲシュタルト療法 - Wikipedia


ゲシュタルト療法のフレリック・パールズが好んで読んだ詩。このような考え方は西洋でも東洋でも共通しているということだ。出会えた偶然は一期一会。その機会を生かして仲良くできるのならば素晴らしいのだが、依存して相手を支配しようとする関係ならば無いほうが良い。


世の中には相手を支配しようとする人が溢れている。twitterなんてその手のマウンティングしてこようとするやつの見本市みたいなもんだ。




批判というのは相手を変えようとする人と自分の権威を示したいだけの人がいる。飛んできた批判の言葉がそれのどちらかなのか考えないといけないし、自分が行う批判もどちらの方なのか考えないといけない。


批判は全部ダメで聞く耳を持たないってのは人生損するよ。相手が何を言わんとしているのかちゃんと聞き遂げて、その上で判断するようにしないと相手が自分を想ってくれているのかただ罵倒したいだけなのかわからない。イエスマンばかりを集めていたらそのうち腐っちゃう。


確かアドラーだったかと思うんだけど、人間の幸不幸は人間関係で決まる。人生のストレスの大半は人間関係だ。人間関係ってのは縄の引き合いみたいなもんなんだけど、その片方を握っているのは自分だ。相手に引っ張られるだけでもいけないし、こっちが引き倒してもいけない。人生の主人公はあくまでも自分だ。人は人、自分は自分、されど仲良き。ってことだ。


他者を真に受け入れることの難しさ。誰もが認める正しい答えなんて無い。 - 超メモ帳(Web式)@復活
自分の中の承認欲求に気がついて心底疲れた。 - 超メモ帳(Web式)@復活
悪口陰口嫌がらせに反応するのは無益どころか有害です。 - 超メモ帳(Web式)@復活

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