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「嫌われる勇気」(古賀史健、岸見一郎著)を再読した。

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「嫌われる勇気」(古賀史健、岸見一郎著)を再読した。


僕は、本に関しては繰り返し読む本を探している。こういうツイートもあったけど、ある種の真理であろう。



真に役立つ知識を身に付けるためには、「読書百遍義自ずから見る」と言いますか、新しい本ばっかりを読んでいても見つからない事があったりする。大量の本を読むのはそれらの本の中から繰り返し読む本を見つけるためであり、上記の織田作之助が言ってるように、人生の中において繰り返し読むたびに新たな気づきがあるような本を持っていれば、そんなに大量の本は必要ない。


最近、「嫌われる勇気」を再読している。「嫌われる勇気」はアドラー心理学の入門書であるけど、アドラー心理学に関してはこちらの「哲学と宗教全史」(出口治明著)を読んだときに、ニーチェアドラーなどのストア哲学の系譜の思想を深く追求してみたくてもう一度読んでみたくなった。


www.ituki-yu2.net


「嫌われる勇気」に関しては、以前も読んでいて感想を書いていてそれはこちらになる。


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この時読んだときは、哲人と若者のやり取りばかりに注目していた。「嫌われる勇気」は物語性が高く、そういうアドラー心理学の入門書というよりは読み物として面白く読める側面があるのだ。


しかしまぁ、改めて読んでみて感じた事は、アドラー心理学の目的論などは直感的ではないなーという事だ。フロイトのトラウマの原因論を否定する事が先に立っており、理屈を弄んでる感じがして腹落ちするような理論ではない。


この「嫌われる勇気」はドラマ化もされるぐらいのベストセラーになった訳だけど、そのために世の中には浅い理解で「嫌われる勇気」という言葉だけが独り歩きして、自分のエゴを押し通して他人からどう思われようがどうでもいいとか考えるような人がいくらか居るんじゃないかと思う。この本の中で語られている「嫌われる勇気」は、安易に自分の課題を放棄する事ではなくて、自分の中にある他人からの評価を手放す事を述べているので、単純に他人から嫌われてもどうでもいいみたいな理屈ではない。他人からの評価に頼らずに自分の課題を生き抜けという事なので、依存先が無い分、元の生き方よりも厳しいかもしれない。


また、本書の中で哲人も認めているけど、アドラー心理学は科学じゃないです。これが言われているのは経緯があって、カール・ホパーという哲学者が名指しで反証可能性がないアドラーの理論は科学じゃないと否定した歴史的経緯があっての事です。その前に心理学というのが科学なのー?みたいな疑問もあるかもしれないですけど、少なくとも現代の心理学は科学であろうとしてますね。実験心理学から始まった理論体系を基にしていて、統計学を使って反証可能性を実現している現代の心理学は科学であるといえます。アドラー心理学はどちらかというと哲学に近い。


あとがき辺りでも語られていることだけど、この本はアドラー心理学の本というよりは、岸見一郎の思想を紹介した本ですね。厳密な意味でのアドラー心理学を知りたいと思うのならば、他のアドラー心理学の入門書を読むべきであろう。岸見一郎さんはあとがきでも語っているけど、この本の中の若者のような、若くて目的が見つからない若者のために生き方の道筋を示してあげたいとの目的で書かれている様である。生きる意味がない自分に意味を見出してやれるのは自分自身であり、そんな風な岸見氏の実存哲学の風味が色濃く反映されているのではないか?と思う。僕は岸見氏の思想に興味があるので、「アドラー心理学入門」に関しても読んでみたくなりましたね。


アドラー心理学入門 (ベスト新書)

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若くて目的が見つからない若者に向けて書かれているので、普通であることの勇気についても書かれている。意識高い系とかにはありがちだけど、何か成功して特別な自分を目指さなければならないみたいな理念に囚われているけど、それはキーネーシス的な生き方であり、目標に達成できない時に自分に失望することになる。強く生きるために行動それ自体を目的にするようなエネルゲイア的な生き方を勧めているようである。エネルゲイア的な生き方とはこちらだ。


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色々と批判的に読んでるように見えるかもしれないけど、僕は読書に関してはセッションみたいなものであると思っていて、読んでみてその時自分が考えた事こそが読書で必要な事であって、ただ作者の意図をなぞるだけでは劣化コピーにしかならないと思っての事である。今回、「嫌われる勇気」を再読してみて感じた事は、哲学者としての岸見一郎氏の思想であった。岸見氏がもっとどんな風に考えているのか知りたくなったので、プラトンの対話篇などを読んでみたくなりました。哲学において対話形式というものになにか価値があるのかもしれない。僕は「嫌われる勇気」を再読してそう思いました。


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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