超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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良い人生を送りたいなら付き合う人は選ぶべきか。

良い人生を送りたいなら付き合う人は選ぶべきか。


さて、今日は夜から飲み会であるのでパパッと思いつきをブログに仕上げて終わらせてしまう。こういう急ぐときはブログ休みの1000字程度の記事で終わらせても良いような気もするが、せっかく続けてきた習慣であるのでやることはしっかりとやっておこうと思う。


ちょっと最近、人間関係に悩んでいる。僕自身、あんまり人当たりの良い方の人間ではないが、どこの組織に行ってもいつも孤立しがちであるなーと思うのである。最近もチームで一人孤立しがちであり、職場でも居場所がないように感じる。それで困ったことがあったりとか苦しんだりしてるわけではないが、もうちょっと良いやりようはないものかと思う。


僕は変な人なので、周りで人が群れていて行動してる中で一匹狼的な行動をするのがへっちゃらなタイプなのだ。高校生から大学生の頃などは人間嫌いで人と話すのも嫌だったのだけど、少しは成長して必要なことはちゃんと交渉できる程度にはコミュニケーションスキルはできた。でも、必要がなければ本当は誰とも話さずに一人でコーヒーでも飲みながら仕事をしてる方が気分が楽なのである。そういう訳にもいかないので、仕方なしに誰かと話して仕事を進めたりとかしている。


今日も飲み会ということで、本当ならばこういう金を払って残業をするような行為というのは死ぬほど嫌なのである。飲み会で酔っ払いに絡まれるのも嫌であるし、僕はアルコールも好きじゃない。第一、たいして好きでもない相手となんで仕事の時間外まで話をしないといけないのだ。ちょうど村上春樹の新刊も買ったことであるし、家でのんびりと読書をしていたいのだ。今週末は忙しいけど、日曜日には図書館で読書をしてこようと思う。


しかも、嫌いな相手に嫌な顔ができるような率直な性格であればまだそこまで不満を溜め込まないかもしれないが、僕は嫌いな相手でも妥協して表面上はいい顔をしながら付き合ってしまうのである。言いたいことがあっても腹に溜め込んで、一人になった時にあの時ああいえばよかったなどと色々と後悔してしまうタイプなのだ。アドラーが言うまでもなく人生の悩みはすべて人間関係の悩みなのだけど、もうちょっとはコミュニケーションスキルを高めてうまい立ち回り方ができないものかと悩んでしまう。


こう言う悩みを持ってるので、昔から内向的な人間のコミュニケーションの方法などの書籍を色々と読み漁ってきた。アドラー心理学の「嫌われる勇気」なんかもすごい感心しながら読んだではあるけど、あの本も小手先で真似しただけでは単なる嫌な人になるだけで終わる本だなと思う。嫌われる勇気の言わんとすることは、自分の内面にしっかりとした軸を持ってその内面のルールをしっかりと守る人生こそが幸せであるということだったと思う。


最近、僕は人生において自分の軸をどこに定めるかという哲学においては、仏教というのが見過ごせないぐらいにいい事を言ってることが多いなと気がついている。ブッダと言う人は突き抜けたネガティブな人であったらしく、その中でどんな風に考えると生きるのが楽なのかノウハウを考え抜いた人であったらしい。


コミュニケーションの悩みに対してもブッダの教えの中に考え方のコツが残されており、今回はそちらの方を紹介して終わろうと思う。僕は仏教関係の情報源としては、寺の和尚さんでYouTuberである大愚和尚の動画をみてよく勉強してる。大愚和尚がコミュニケーションの考え方を語ってる記事にこのようなものがあった。


president.jp


仏教のコミュニケーションに関する考え方としては「善友」と言う概念がある。ブッダの考える良い人間関係というのは、お互いを支え共に成長していくような人間関係が良く、そういう良い友を選んで付き合いなさいと教えている。


それだけだと「善友」というのは当たり前すぎる概念に思えるかもしれないが、それだけではなく、ただやみくもに誰とでも付き合えばいいのではなくて、お互いが堕落するような関係であるとかお互いの煩悩を増やすだけの付き合っていて自分のグレードが落ちてしまうような相手とは関係を断ちなさいとも言っているのである。


むしろ、暇潰しのための馴れ合いだけの人間関係で時間やリソースを使うのはムダ。それぐらいであれば一人でしっかりと自分の道を歩みなさいと教えている。古代仏教の経典の「スッタニパータ」にこのような一文があるらしい。

われらは実に朋友を得る幸せを褒め称える。自分よりも勝れ、あるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め


よき人間関係というのは自分を成長させてくれるが、暇つぶしのためのただの馴れ合いの関係は自分を堕落させてしまう原因にもなりかねない。自分の目的や軸をはっきりとさせた上で、相手の本質をしっかりと見極めるぐらいにちゃんと向き合って付き合う人間関係というのが重要なのではないかと思う。


僕が思うに、自分の内面ばかりをみて周りに興味を持たないのも問題であるが、同じぐらいに自分の寂しさを紛らわすためだけの人間関係に煩わされて自分を顧みないのも問題であると思う。人間関係というのは自分を写す鏡である。相手の存在をちゃんと認め、しっかりと向き合う姿勢こそがコミュニケーションのあり方では重要でないかと思う。

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