超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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幸も不幸も本人次第。

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明日がバレンタインなんだけど、イラストが多分間に合わない。工数の見積もりが甘かったな。いや、直接の原因はディスプレイがイカれたせいでPCが使えなくなったせいなんだけどな。んー、まぁ出来ている下絵だけでも明日出して、それからじっくりと彩色して完成版を後で出そう。

 

ディスプレイはIOデータのヘルプデスクに問い合わせしてみたけど、工場に送って修理の見積もりを出してもらうことになった。まぁ、今日日これぐらいの安価なワイドディスプレイなら1万5千円ぐらいだせば同じクラスの製品が買えるので、運良く新品の相場以下の値段で修理できるのなら直してもらうつもり。このディスプレイは3年以上使ってるから保証書とかレシートはもうとっくに捨てているから有償修理だよ。予測もしない所で金が飛んで行く。

 

今月はワコムIntuos Comic Mをポチった後だったから困るんだよな。最悪、ディスプレイは来月まで修理できない。

 

 

一応、小さなディスプレイに交換したからWebを見たりブログを書いたりする用途では困らないんだけど、絵を描いたりするのは広いディスプレイじゃないとそこそこ困る。僕の絵の描き方はブラウザで絵の資料を同時に開きながら模写していくスタイルなので、現状、作業効率が死ぬほど悪くてイライラしている。

 

まー、どのみちペンタブは新調しておかないといけなかったけどな。今使ってるWacom BAMBOO CTE-650は7年ぐらいは使ってるから流石に寿命でな。筆圧感知がバカになって線が途切れたりするんだ。僕が絵を描く頻度は年に数枚書くかどうかなんだけど、これでも曲がりなりにも10年以上のキャリアが有る絵描きだからな。まぁ、いつまでも底辺通り越して奈落絵師なんだけどな。

 

Intuos Comic MはCLIP STUDIO PAINTの2年ライセンスが付いてくるらしいからペイントツールも変えるつもりで買ったんだ。現状はSAIを使ってるんだけど、ネット上の絵師たちはみんなCLIP STUDIOの方に世代交代しているみたい。昔はデジ絵のデファクトスタンダードはSAIだったんだけどな。SAIはvar2.0が出ているらしい。

 

togetter.com

 

SYSTEMAX Software Development - ペイントツールSAI 開発室

 

んー、どうなんだろ。Intuosが届いたらSAIの方もvar2に入れ替えて色々と試そうと思う。多分、素材を移したりファイル形式を変換する方法はググれば出てくるだろ。現状、SAI使っている理由って、今まで描いてきた絵が全部SAI var1のファイル形式だからって理由だけだもん。そこそこSAI var1は使い込んでいるから静的摩擦力があるだけ。新しい環境も勉強していかんといけんだろう。

 

まぁ、お絵かきの話はどうでもいいんだよ。今日はさっさとイラストの続きをやりたいから適当な話であと800文字を埋める。ちょっとコミュニケーションの話でもしてみようか。

 

不幸せな人って、フィクションでは心優しい人々が環境のせいで抑圧されて不幸になっているって感じだけど、現実では自業自得で苦しんでいるケースはそこそこあるよね。こりゃ人それぞれなんだけど、周りからは岡目八目でその人の不幸の原因は見えるんだけど、当の本人は視野が狭くて自分が苦しんでいる理由に全然気づいていないことがある。というか、不幸の原因は本人の固執している思い込みってのが大半だ。

 

大層偏見混じりなんだけど、不幸せな人は周りに対しても当たり散らすので、付き合ってあんまり愉快な人は少ない。個性を認める教育が進んでいるので、変わった人でも平等な姿勢で対応するのが社会的な常識とはなっているが、個性の強さというのは必ずしも絶対善じゃない。環境に適応していく能力が欠如している場合、コミュニケーションの場では排除されて不適応を起こしていくのが大概だ。

 

環境の違いと幸不幸はイコールではないだろう。ここで僕は予測するんだが、他人の思いを推し量って共感する想像力と環境への適応能力ってのは相関するんじゃないかな?

 

自分勝手で独りよがりな考えを他人に押し付けようとする人は、現実と自分の理想が乖離しすぎていつまでもコミットできない。浮世離れした考えで行動し続けるので成功体験も少ない。その結果、他人への信頼感も自己肯定感も低くて、本人の感覚としても不幸せになる。

 

僕がここで書こうとしているのは幸福論ではなくてただの雑感なんだけど、不幸な人は本人が固執している思い込みを解除しないといつまでも不幸なままだよね。そういう人たちはそもそも人の話を聞かないので救い出すのが困難だ。こういう人たちを説得する方法ってのは昔から研究されていると思うんだが、いつまでも世の中から不幸が消えない訳は完璧なコミュニケーションが不可能であるがゆえなんだろうなと思う。自分を救うのは自分以外居ない。

小さい子供が泣いていて、慰めてみてもダメなとき、保育士は子供の性格についてすばらしいさまざまな仮定を立てる。いったい何がこの子供を喜ばせたり、不快にしたりするのだろうかと。もしかしたらこの子供の性格は、父親の遺伝なのかもしれない、などと考えたりもする。この保育士の心理学的な空想は、子供が泣いていたすべての原因が、小さなピンにすぎないことを発見するまで続くのである。


アラン「幸福論」 ブケファロス


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