超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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「優しさ」と「無関心」の違いに気がつくと良いよね。

「優しさ」と「無関心」の違いに気がつくと良いよね。


いつもブログの書き出しでどうするのかは悩んでしまう。どうにも体調が悪い時期には、体調が悪いことの書き出しが連日続いてしまい、ちょっと読者に心配かけるしあんまよろしくないなと思うところである。


ちなみに今日も体調がよろしくない。こりゃ、なんなのかよく分からんのであるが、どうにも僕のメンタルは環境の急変に弱いらしく、気温や気圧の乱高下でも調子がおかしくなるし、戦争とか大規模な災害とか良くないニュースでも体調が狂う。人間関係で揉めた時なんかも数日落ち込んだりとかもする。


わざわざこう言うことをブログで書くのもいかがなもんだろ? と自分でも若干問題視してるのだけど、このブログは僕の日記も兼ねているのであり、その日にあった出来事とか体調とかを冒頭の方で軽くメモしておくのは、自分が振り返ってブログを読むときに有用なのである。


そこんところは、ブログの書き方を工夫したりとかAIを使ったツールを使うことでなんとか対処できないかなーとも考えてるのである。最近、AIのモデルを誰でも使えるように公開してるHugging Faceで、日本語用の感情分析モデルなんかを見つけて、そのモデルを使ってその文章がどのような感情の文章なのか冒頭の方でバッジを表示してみてはどうだろう? などと考えていたりする。


はてなブログでChatGPTを使って、夜のうちに要約文を生成したりとかはすでに個人開発でプログラムは実装してるので、やろうと思えば感情分析のChatGPTのプロンプトを作成して既存のシステムを流用することも可能である。ちょっと最近は日常生活での興味関心が小説執筆に随分と傾いてしまってるけど、そういうブログカスタマイズでもちょこちょこと時間を割いて、既存のシステムの修正箇所であるとかそういう細かな便利ツールの開発なんかはしておきたいなーと思うところである。


閑話休題。今日はクーリエ・ジャポンでこのような記事を見つけて何か書きたいなーと思った。


courrier.jp


多分有料記事だから無料でいつまで読めるかは分からないけど、僕はクーリエに関しては有料会員になっている。わりかし海外ニュースの深掘りで国際情勢を知るために使える記事が多くて、有用な記事が多いと思う。


「嫌われる勇気」の岸見一郎先生が、対人関係の考え方について書いてある記事なのだけど、「確かになー」と感じた。


俗に言う「優しい人」と言うのは、相手の意見をちゃんと傾聴してやりその答えに同意してやることが多いだろう。だが、そう言う優しさを元にしたコミュニケーションというのは、余計な軋轢を避けるために厳しい意見を言うことを避けてしまうことになり、結果的にその人のためにならないことがある。


なので、岸見先生が言うことには、本当に相手のことを思って考えて、時には相手の耳の痛い話でも勇気を持って提案してやることが必要だという。そのためには手を抜かず普段から信頼関係を築いてやり、しっかりと相手のためを思い考え抜くのが重要。というような内容。


非常に考えさせられる話だよね。僕は対人コミュニケーションが受け身になることが多くて、相手の話を聞き手に回るケースが多いけど、相手が「頓珍漢なことを言ってるなー」と思っても、「まぁ、考え方を変えさせるために説得するのが面倒だから、いいか」と放置してしまうことが多い。


もし、友人が最近Youtube陰謀論の動画なんかにハマり込んでしまい、それでおかしな言動になり始めた。本当にその友人のことを大事だと思っていたらどうするだろうか? 友人と喧嘩をすることを恐れずに「それは違う」と相手の意見を訂正することができるだろうか?


単に友人に嫌われるのが嫌でただただ話を聞き流してやることが、それは本当に「優しさ」だろうか。相手の気分を害さないために同調するだけで、嫌われないためだけに相手の問題を無視することはそれは「無関心」ではないだろうか?


こういうの、普段の人間関係の中でも良くある問題だなーと思った。僕自身そうであるけど、相手が無関心な相手である場合には、何か感情的な話をしてる時でも「ふーん、そうなんだそれはすごいね」と自分の意見を挟まずに聞き流すモードに入ることがある。喋らせていれば相手はいつか満足するし、基本的に同意をしていれば相手は気分よく話すことができるので無駄な軋轢が発生しない。


利害関係が絡まない対人関係においてはそれでも問題ないかもしれないけど、それが親友であるとかパートナーとか、本当に大事な相手である場合に、そう言う受け流すモードのコミュニケーションでやっていると大問題である。相手のことを思った時に、時には反論して考えを訂正させないとならない場合もあり、コミュニケーションコストが大きくても相手のためを思って厳しく叱らないといけない時もある。


こう言う「優しさ」と「無関心」の差というのはよく考えねばならぬなと反省させられた。僕はどうも対人関係において忌避的だったり受け身であるもんだから、もし利害関係が大きな人でも嫌われないために「はいはい」と聞き続けることが多すぎである。ちゃんと相手のためを思うのであれば、意見をはっきりと共有することは重要だなと思った。

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