めんどくさがらずにコミュニケーションは手間暇かけるべきなんだろうなぁ。
ちょこっと調子悪い。昨日と比べると随分マシだけど、なんか思考がシニカルになってる。どうもネットのよろしくない空気に当てられすぎたようだ。
んー、でもどうだろう? 僕はネットを通じて色々と情報収集を行ったりなどするのだけど、現状のネットの言論空間の状況というのは「近寄らない方が良いもの」として認識してる。陰謀論やデマにしてもそうなのだけど、感染しやすいタチの悪い思想というのが蔓延しており、悪性ウイルスのように読んだだけで思考を蝕むような情報というのが広がっている。
そう認識してるから最近はSNSなども見ないように気をつけて、災害情報などもNHKのポッドキャストなどから摂取するようにしてるのだけど、どうも人間らしい情報をちゃんと摂取できてないなーと思う。これもノイズといえばノイズなのだけど、どうでも良いような人のどうでも良い話というのをちゃんと聞くことの重要性について考えるのである。
僕も昔はそういう傾向があったし今でもかなりそういう性質を持ってるのだけど、雑談であるとか無駄話というのが苦手であるし、嫌ってもいる。仕事でもプライベートでもダラダラと無駄話をするのを嫌い、行動するために必要なことを必要なだけ過不足なく伝えることができればあとはコミュニケーションは要らないと思ってるフシがある。
昔から対人関係のコミュニケーションはそんな感じの最低限のコミュニケーションしかとらないという方向性で人付き合いをしてきたのだけど、どうもこのやり方だと浮いたりとかギスギスしたりすることが多いなと気がついた。いろんな経験をしてきて気がついたことであるけど「毛繕いの雑談」というのは、そういう最低限のコミュニケーションを維持するための元々の基盤の部分に当たるものであるということだ。
たとえば会社の同僚に対して「○○やっておいて」というような基本的な仕事の依頼のようなことをやろうと思っても、こちらと相手の友好度だとか親密度のようなゲージが低いと、無視されたりとか後回しにされたりすることがある。これは依頼の仕方が悪いというよりは、普段からのこの同僚との間でのコミュニケーション維持のコストを払わなかったことが問題なのである。
こういうの、一対一の仕事の依頼だけに限らず、会議での発言力にも影響するという恐ろしいものなのである。たとえば、普段全く何も喋らずに無口な人が、会議の中でみんなが見逃してる議題の問題点について発見した。珍しくその人が発言して問題を指摘したとしても、発言力がないので無視される。ああいう会議とかのコミュニケーションの力場が発生する場所というのは、意見が正しいかどうかよりもそれぞれの参加者の発言力とか政治力がものをいう。
僕は何か対人関係においてめんどくさいことがあればすぐにベタオリしてしまう。ちょっとでも自分と相手の意見が対立して、相手を説得するのがめんどくさいなと感じたら、自分の方が降りる。そもそも意見が合わない人だなと感じたら、SNSだったら即フォローを外すし、リアルの方でも無視して口をきかないようになる。
僕はどうもこういう人間関係の距離感というのを「ま、いっか」と思ってるけど、ネット上ならともかくリアルの方では嫌いでも避けられない相手というのがあるし、政治問題とか広く社会に影響するような社会問題の場合には放置してると自分の権利が損なわれる弊害というのも存在する。
僕自身の方の社会的な立場というのはマイノリティの方であるし、コミュニケーションがめんどくさいからという理由で必要以上に社会や他人を避けても良いのか? というのは僕の昔からの悩みである。悩みがあったとしても結局、こういう悩み事を社会で取り上げてもらえる人というのは声が大きな人だったりする。悩みがあっても自分が我慢したら良いかと意見を飲み込んでしまう人は、最終的に潰されるまで我慢を強いられる。
ここんところの我の通し方って昔からの僕の課題なのだよね。ゆるふわでなんとなく周りの人と八方美人に合わせていれば良いかーと思いつつも、どうにも僕のメンタリティというのはアクが強く、自分が気に食わないものは意地でも気に食わない。自分が「良くないな」と感じたことは、周りの全員が否定しようとも一人で反対意見を押し通す。普段は無口なのに、たまにギョッとするようなキツイ発言をする人というキャラクターになってしまっている。
だからまぁ、どうも僕の性格というのは対人関係で浮きやすいし、嫌う人からは徹底的に嫌われやすい。そこんところのコミュニケーションの問題をなんとかしたいというのは昔っから悩んでるんだけど、どーにもなんないし困ったものである。
普段からある程度コミュニケーションのコストを先払いしておくのが、組織で浮かないためには重要なことなんだろうなーというのはなんとなくわかる。そこんところの社内政治のようなことは全然やる気がしないのであるが、ちょっとだけ気を配っておくことで普段の生活のQOLが上がる。苦手ではあるが、練習はしないとならんことなのだろう。