超メモ帳(Web式)@復活

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哲学かぶれの高校時代を思い出した。

哲学かぶれの高校時代を思い出した。


朝の通勤時間は僕はAudibleで読書をするのだけど今日で「史上最強の哲学入門」は再読することができた。やはりこの本で語られてる哲学のわかりやすさというのは素晴らしいものであり、哲学的なフレーバーというのはどんなものなのかという入門書として読むならこれがベストな本だなと思う。


次は「民主主義とは何か」 (講談社現代新書 宇野重規)でも読んでみようかなと思う。最近、コテンラジオで民主主義のシリーズをやっており、こちらも凄い神回ばかりのシリーズなのである。その中で宇野さんのこの本が参考資料として使われていたので、興味があるので読んでみようかと思う。



こういう思想とか哲学みたいなものが好きなのは僕の好みだ。高校生の頃も倫理の授業が一番得意であり、テストでほぼ満点をとったりなど得意分野であった。高校生ぐらいの時の僕というのは、図書館に通い詰めて世界文学全集とかを読んでる文学少年であり、この手の哲学系の本というのは趣味で色々と読んでいた。


高校生の頃にはありがちではあるけど高二病で、やたら難しい哲学書や文学作品をありがたがるという衒学的な性格をしていた。そこんところ今でも全然抜けてない感じがするけど、昔に比べると口先だけで小難しいことを言ってる奴の恥ずかしさというのはいろんなことを身をもって経験して分かったので、知ったかぶりというのはあんまりやらないようにしてる。


よりにもよってこの頃に読んでた哲学書というのが、ハイデガーの「存在と時間」だったり、スピノザの「エチカ」だったりするので、いかにこの頃、拗らせていたのかよく分かるチョイスである。基本的に普通に読んでも理解できないような本をありがたがって読み耽り、それで小難しいことを友達に言って呆れられるという、今思い出すと顔から火が噴き出すような行動をとる高校生だったのである。ちなみに知っている哲学的知識の情報源としては基本的に「ソフィーの世界」や筒井康隆の「文学部唯野教授」である。


んー、でも、こうやって哲学関係の本を読み耽る癖があったから、大学では心理学の方に進むことができたし、その頃に得た知識を40歳の今になって「なるほど、あれはこれを言ってたのか」と理解できるというのがあるので人生は面白い。


哲学書の中で一番好きなのはスピノザの「エチカ」である。この本、読んだことがある人はまずまず居ないと思うけど、非常に難解極まりなく、僕自身、全体的に何を言ってるのかよく分からない本である。


しかし、この中で語られている言葉というのが哲学的な感じで実にかっこよい。スピノザの言葉で「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する。」という言葉があるけど、これを聞くと「かっちょいー!」となってしまうのである。どうも僕が哲学書を読み耽るというのはそういうミーハーな思惑でやってる行動であり、なんか難しいことを考えてる人はかっこ良さそうという恥ずかしすぎる思惑ゆえの行動である。


しっかしまぁ、高校生から大学生ぐらいの青年期にこういう小難しいことを理論武装して偉そうな口をきくというのは、学生運動があった60年代ぐらいから若者の心理としてはよくあるもんだと思うのだけど、僕が高校生だったのは90年台であり、その頃はたまごっちとかアムラーとかが流行ってた時代である。随分とアナクロで反動的な高校生だったと思うが、あの時代もなんか全体的に薄暗くて、エヴァのような終末思想が流行ってオウムがサリンを撒いたりとかしてるような時代だった。


よくよく新興宗教にはまらずにここまで来れたものである。新興宗教にははまらなかったが、精神はぶっ壊してしまった。この頃、小難しいことばかりを考えてたのがメンタルを病んだ明らかな遠因である。


精神的に壊れた後に小説の勉強がしたいと思って、夏目漱石の小説を書き写してたりしてたけど、どうも今の僕の大人になった後の性格を形作ってるのは、この頃に読んでいた漱石であるとかそういう小説の影響が強い。


なんか漱石の小説の根底に流れてるのは、色々と小難しいことを考えつつも余裕を持って生きていこうぜという、ワンクッション置いてものを考える生き方を語っているように思う。世の中というのはままならんものではあるが、その中でもなんやかんやと交渉や工夫をしながら諦めずに進んでいこうと語っているように感じたのである。


どうも僕自身の生き方というのはこのように哲学であるとか文学から影響を受けてる部分も多くあり、今でもそういう学問の勉強をやり直したいなと思うことがよくある。大学を卒業した20代以降というのはアニメとかサブカルの方に走ってしまい、普通にボカロとかアニメを見たりする若者であった。でも、内面の根本の方を考えてみると、そういう世界の原理原則みたいなものに関する興味はいまだにあるなと思う。


ちょっとこれからでもスピノザのエチカを理解できないかなと思って、「はじめてのスピノザ」(國分功一郎著)を購入してみた。40からの手習いとはいうが、そういう哲学を学び直すのもいいだろう。


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