超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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結局、自分はなんのためにブログを毎日書いてるのだろうか?

結局、自分はなんのためにブログを毎日書いてるのだろうか?


今日は母親を病院に連れていったのちに買い物をして、午後は図書館でニュースレターを書いたりとか週報を書いたりしてた。


とくに何か特筆するようなことはない感じであるよな。メンタルの調子はものすごくいい感じであるし、休日でもあるので随分と気分が楽。明日は何をしようか考えてるけど、自宅で小説のシナリオを考えるのでもやってようかと思う。


ひとまず小説を書くということで書き物関係の考え方を再復習したいということで「ライティングの哲学」を再読してる。



僕は文章の書き方についてはいろんな文章読本を読んだりしつつも、普段このブログで書いてる文章については完璧にフリーライティングの我流の書き方を徹底している。しかし、別にいつもフリーライティングでばっか書いてるのではなくて、このブログに関しては1時間の制限時間内で記事を完成させないとならないので下書きもせずに殴り書きスタイルで更新してるのである。


基本的な文章の書き方の話であるけど、ある程度の長文を書こうと思って、いきなり思いつきを書き出してダラダラと書き続けることができる人というのは実はそんなにいない。ライティングの哲学にもそんなふうなことが書かれていて、「まぁそうだろうな」と思った。


僕のこのブログでの文章の書き方というのは頭の中で思いついたことをガーーっと吐き出すように書いてる感じなのだけど、どうも普通の人というのは文章を書くときに文のつながりであるとかその辺りで詰まってしまって筆が止まるらしく、フリーライティングができるのも才能であるらしいね。


恥ずかしげもなく偉そうに自慢話をしているけど、僕は一応、7年ぐらいは毎日更新をしてきてこの境地に至ってるのである。どうも僕の場合は、口で誰かと対話をするよりはエディターにキーボードで文字をぼちぼちと打ち込んでいくのが自分の言葉の使い方としては自然な感じ。思考を表現する方法としてはこんな感じでフリーライティングするのが一番楽なのである。


しかし、ま、ブログの記事を読んで貰えばわかると思うけど、この書き方でやるとテーマがいろんなところに飛びまくって話題がどんどん移り変わる。思考をラフスケッチしてるようなものなので仕方ないのだけど、こういう書き方というのは一般的には悪文である。普通は1つの文章に込めるテーマとしては1つの話題を深めたり広げたりとかして掘り下げていく小論文的な書き方が一般的であるし、僕がこのブログで書いてるような文章というのは売るための文章としての商品価値は著しく低いだろう。


なんか自分のこういう書き方の市民権というのは得られないものか? と思っていろんな文章読本を読んだりしてるけど、自分のような書き方をするための教科書としてはナタリー・ゴールドバーグの「魂の文章術」が理論面を補強してくれるだろう。



「魂の文章術」で「文章修行」と言われてるようなライティングの練習方法があるのだけど、毎日時間を決めて思いついたことをノンストップでノートに書き出していくようなやり方である。一般的にはノンストップライティングと呼ばれる文章の練習方法である。


こちらのノンストップライティングでは、心に映ったことを文章として広げて書きまくるというやり方で、心に恐怖心が出てきてもそれに飛び込んで書き尽くすという下手をするとトラウマになりかねない荒業である。やってみればわかるけど、なんの体裁も取らずに文章を書くというのは実は相当に難しい。普通の人であれば気取っていい話を書こうとして常識にとらわれたことを書いてしまう。


しかし、ナタリーはそういうお決まりの常識に逃げ込もうとすることを「いい子ぶりっ子」として戒める。世俗的な決まったこと、正しいことを書こうとするのではなく、自分の本心に向き合ったときにどんな言葉が出てくるのかというのを見つめながら書くのが「文章修行」なのである。これをちゃんと毎日時間をとって、きちんと書き続けるのが文章を書くものにとっての素振りのようなものだ。


僕がこのブログでやってることもこのナタリーが言ってる「文章修行」のようなことかなと思ったりもするのだけど、ブログという第三者が読んでる媒体でそこまで内心に近すぎる文章は書けない。まぁ、僕もたまに拗らせてる文章を書いたりするものの、ひとまず他の人が読んでおもしろいかな? ということは一応配慮しながら書いているのである。完璧に内側に籠っちゃってる文章というのをたまに他の人のブログとかで読んだりするけど、あれは書いてる本人以外には意味不明な文章である。ノンストップライティングで書かれる文章というのはそういうものであるだろうけど、他人に見せても意味が生じる文章ではない。


結局、僕が毎日書くブログの文章でどこを目指しているのかということだけど、自分の生活で起きたこととか考えたことを随筆として広げて、読者に面白がってもらうための文章だよね。「文章修行」のように枯れた境地でもなく、お役立ち文章のように商品価値を高めた文章でもないという中途半端なところなのだけど、こういう文章を数十年単位で書き続けたときに自分の中にどんな反応が起きるのかというのを見てみたい。

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