超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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エピクテトスとフランクルから学び、人生の逆境を乗り越える。

エピクテトスフランクルから学び、人生の逆境を乗り越える。


また、今の職場の仕事の状況が変わった。またしても同じチームの一人が辞めるということである。これで僕は壮絶に悩むことになってるのだが、またしてもストレッサーの上司と二人きりのチームである。以前も同じような状況になりメンタルを病みそうになりジョブコーチなどを呼んだのであるが、とりあえず新規採用で2人ほどチームに人員が配置されて少しは状況が改善されたという経緯があった。


そしたらあっという間に定着せずにその二人は休職したり退職したりして、またこのストレッサーの上司と二人きりのチームに戻りそうなんだよね。正直、心底嫌なのだけど、いまんところちょうどいい転職先というのも見つかりそうにないので引き続き今の職場は継続して勤め続けるかと思ってるところである。


めちゃくちゃ病んでいた以前と比べるとこういう状況に置かれても潰れそうになるほど悩まなくなったのは良いことかもしれない。まぁ、勘がいい人ならこの職場は長居しようとはしないと思う。上から下までパワハラ気質であるし、根性論を強いてくるところがあるし、そういうのが居心地が良いと感じるタイプ以外はメンタルをやられる職場だろう。


まー、とりあえず僕はどんな風にしていくのかというのは考えないとならない。どうも障がい者雇用でプログラマなんて職場は地方にはほとんどないようであるし、以前も書いたことだけど全国でリモートワークで募集してるところも含めて網を広げてみようと思う。


8月でメンタルを病んだ状態だったのが、9月に入ってポケモンスリープで睡眠時間を安定させたおかげで情緒が安定してきたと思ったら、またしても状況が逆戻りしそうなイベントが発生してきた。まー、いい加減ここまでメンタルの乱高下を繰り返して来たら、アクシデントが発生したら調子は確実に落ちるというのは体で学んだ。おそらく、今後数日ぐらいもまたメンタル病み病みモードに突入するはずである。こういう状況に陥ったのなら、ひたすら睡眠時間を守る事に力をいれて、瞑想やAwarefyへの感情メモの記入などのコーピングで感情の波を抑えて、テキトーにカロリーの高めの栄養のある食事を食べたりして気分が浮き上がってくるのを待つしかない。


現状の状況というのは逆境だが、大学生ぐらいの頃から今まで、順調に物事が運んだ方が珍しいという人生クソゲーの人間なのである。人生というのは基本的にままならんものであるし、そういうどうしようもならない状況をなんとか自分の方で調整をおこないながら体調や気分を調整してやりくりすることで上手く行かせる方法もあると最近学んできたのである。


ストア派の哲学者でエピクテトスという人がいるけど、この人は人生の物事を「権内」と「権外」という風に分類して、人生を上手く行かせるためには自分がコントロールすることができる「権内」の事だけに集中せよと教えている。こちらに関しては書籍の「その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。」で学んだ。



エピクテトスの言っている「権内」と「権外」の考え方というのはこういうものだ。「権内」というのは自分の考え方や行動でこちらは自分の方でコントロールしようと思えばコントロールできる。一方、「権外」というのは他人の行動であったりとか天気や世界の出来事など、自分の力では変えることのできないどうしようもないことである。


エピクテトスは、変えられないことにクヨクヨと思い悩むのはやめて、自分が変えられる事柄だけにエネルギーを集中せよということを教えているのである。これは、僕がよく引用する「ニーバーの祈り」にも共通する考え方かもしれない。というか、おそらくこのストア哲学の考え方を念頭に置いてニーバーはそのようなことを言ったのだろうと思われるし、ストア哲学の概念というのはアドラー心理学認知行動療法などの心理療法にも受け継がれてるものであると僕は思う。


現状の僕の状況を考えるに、ストレッサーの上司や同僚との関係とか、転職がどうにもうまくいかないことは「権外」の出来事である。そのことに対してどんなに悩み込んでもすぐには答えが出ないことであり、状況が今後変わることでしか今後の改善策は見つからない出来事である。なので、僕が集中すべきことというのは、どんな心持ちで仕事をするとか心のバランスをどう保つとかの「権内」の事柄にリソースを集中すべきなのである。


フランクルは「夜と霧」の中でこのようなことを書いていた。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。


人生には逆境がつきものではあるが、そこからどんな風な価値を見出すかというのは自分自身の信念だ。困難な状況において挫ける人もいれば鍛えられる人もいるけど、いい加減、僕はへこたれてるばかりではなくその状況から得られるものに注目する必要があるんだと思う。人生クソゲーではあるが、死ぬ時に満足して人生を振り返れるように自分の信念というのを鍛え上げようと心底思う。

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