あんま、SNSの悪口いうのやめようと思う。
今日は食材の買い出しと大五郎の爪研ぎと猫砂を買ってきて、午後からは自宅でニュースレターの執筆と「ゴジラ -1.0」をアマプラで見るなどしてた。
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ニュースレターでは個人的なぼやきとか、政経関係の分析記事なんか書いたりしてます。まぁ、ブログでは書きにくい話題とかは全部、ニュースレターで書いてる感じである。やっぱり不特定多数が読める場所で、下手に拡散されると炎上したりするかもしれない話題についてはブログでは書かない方がいい。
僕はそこまで大衆というのを信用してない。特に最近のSNSでみられる現象というのは、何か失敗をやらかしたりとか同調圧力で周りが気に入らないことをした人の悪口を言う大喜利大会であり、いかに器用に相手を傷つけるようにdisるかのコンテストをやってるようなものだ。
僕も2chからインターネットをやってきたわけだし、そこんところで自分だけ口を拭って綺麗事をいうつもりもない。しかし、ま、相手の人格を完璧に無視して奪った上で不特定多数でリンチをするのが常識になってる最近の時流については、ものすごく反発を感じるのである。こういうのはコロナ禍の後から特に苛烈になっており、普通の人までネットリンチに加わるのが当たり前になってるように思う。
こういうのは、最近、プロバイダ責任制限法も改正されたけど、何か誹謗中傷があった時には情報照会が簡単になるように法律改正されている。まぁ、表現の自由の兼ね合いなんかも考えたりもするけど、今のようになんでも匿名のヘイターがいいたい放題というのもフェアじゃないし、ある程度法的な規制も必要だろうなーと思う。
インターネットの倫理観というのがまだまだ過渡期なんだろうなーと思う。それプラス、コロナ禍で社会にプレッシャーがかかったのちには、反ワクチンのような陰謀論がカジュアルに世の中に広がるようになってしまった。やはり、インターネットというのはまだまだ人類には早すぎるおもちゃなんだと思う。
まぁ、大上段で天下泰平を論じて、カクカクシカジカで世の中はかくあるべしみたいな偉そうなことは述べる気もしない。基本的に僕は個人主義者であり、個人の行動はそれが他人に迷惑をかけないのであれば、とやかく文句を垂れるべきでもない。愚行権もあると思う。しかし、少しでも自分も生きやすくしようと思うのなら、せめて周囲5mの人たちとはリスペクトしあって信頼関係を築いた上で良好な生活環境を作りたいと思っており、ネットのせいで世の中がギスギスしていくのは迷惑なのである。
僕はネットがこういうギスギスした生きにくい空間になってることに随分と怒りを感じてるのだけど、これは何が原因なのか、またどのようにしたら改善していけるのかというのが分からない。どうも、ネットをフラフラとしてるとイライラを感じる光景が目に映ることが増えており、それで「なんか嫌だな」という気分に陥ることが増えたのである。
それゆえに、最近は積極的にネットを見ることをやめてしまった。これはどうも僕が病気をした後に気が弱くなってしまったのも原因なのであるが、ニュースやネットで何かひどい言葉や事件を目の当たりにすると調子を崩すのである。
以前、京アニの放火殺人の時はあまりもの怒りで体調を崩し、それで数日寝込むところまで行ってしまった。そのほかにも災害や戦争の報道を見た時も、センシティブな情報の場合にはメンタルがぐらつくことがあり、テレビでの報道もNHKのニュースしか見れない。
これも加齢による変化なんだろうなと思う。以前の僕であれば頑張ってそこから世の中の問題解決などを考えたりすることもあったかと思うけど、今はなるべく1日の中で不愉快な気分になる時間を減らして、ご機嫌な感じで生活をやれるようにしたい。問題があるのならそれについて、ブログやニュースレターである程度の改善方法の考察なんかを述べるのはいいが、噛みついてくる相手とわざわざ議論をするのはめんどくさい。
こういう何か悪い情報ばかりを見て、こんな感じでぐちぐちSNSの悪口を言うのも辞めたいんだ。僕の悪い癖だけど、臭いものに鼻を突っ込んで、臭い臭いと文句を言うことがやめられない。自分の力ではどうにもならないことに対して外から文句を言うのは悪癖だ。それを改善しようとも、またどうしようもなければ無視することもできないのである。
ニーバーの祈りという言葉がある。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
最近のインターネットがむかつくことについても、他人の行動なんて、人間には変えられないものの筆頭のようなものだ。それに対して自分一人で怒りを感じて、ブログで嫌味ったらしい長文を書くことになんの意味があるのか。それよりはどうすればインターネットがより楽しく見えてより良い努力ができるか? など、そういう方法を編み出してブログで紹介するなどした方が建設的で人の役に立つことである。