インターネットのリバイバルとブログ文化
今日は完璧にお休みの1日だったね。車のクーラーを修理に出していたのでそちらの受け取りをして、その後、来週分の食材の買い出しに行ってきて、自宅でコーヒーを飲みながらpixivの小説を読んだりとか他の人のいろんなブログを読んだりなどしてた。
明日はひとまず朝は予定がないので、コメダでモーニングをしてこようかなと思う。その時、Macbookを持っていってコメダでニュースレターの執筆をやろう。ニュースレターについては不定期投稿にしたけど、月に2~3通は休日にお届けするような感じでやりたい。
ニュースレターとか書き物については、忙しい時は大変であるけど、基本的に僕はあんな感じでいろんなことを考えて書くのは気晴らし行為なんだよね。ニュースレターの発行についても自分にとってはストレス解消のところがあり、できれば暇がある休日はどこかカフェにこもって書き物をやっていきたいと思っている。
小説を書いたりとかニュースレターを書いたりみたいなことでもそうなのだけど、僕は頭の中のことを言語化して書き出すことが楽しいことであるらしい。ブログを書くのもそうなのだけど、一日の中でこんな風にして考えてることを文章にして書き出す時間がないと、僕はものすごく頭の中が煮詰まった感じがする。
どうも、世の中の人の現在の風潮では、長文については書くだけではなく読むのも敬遠されることであるらしい。短文SNSの隆盛により、コミュニケーションを取るのはカロリーを必要としない140文字の短文が有り難がられるようになり、ブログのような長文でコミュニケーションのやり取りをする存在というのはアナクロになってしまった。
ましてや、さらに動画SNSの隆盛やChatGPTに代表されるような生成AIの登場により、人の文章を活用する能力というのはますます省力化される。そのうち、みんな目の前に文章が置かれても全部ChatGPTに要約させて情報だけ読み取り、三行以上の文章なんて読まないようになるのかもしれない。
そんな時代に真っ向勝負で、こんな文字が詰まりまくった長文ブログで勝負をしてるのだけど、全くの時代錯誤であり、どんどん時代に取り残されて置いてかれる存在なのだろうなと思ってる。「ラスト・オブ・モヒカン」ではないが、ネットのテキスト文化の最後の生き残りになるまでガリガリと書き続けるつもりではある。
しかし、ここんところのブログのアクセス数を見ても、デイリー200アクセス程度でアクセス数は落ち込んでいる。はてなブログで長年ブログをやり続けてる方なら体感で分かるかもしれないけど、明らかにはてなブログのアクティブユーザー数が減ってるのは感じるんだよね。どうも、去年の10月のGoogleアップデートでGoogleからの流入が激減したのも確かにそうなのであるが、僕のブログの1番のアクセス源は指名検索やはてなブログの購読者のアクセスであり、そちらの方も減少してるのを感じるのである。
ブログ文化というのはオワコンであるというのは、もう何周遅れの論かわからないので今更論じはしないが、ブログオワコンの後にどのような時代が訪れるのか? というのはブログを書いてる当事者としては考えておいた方が良い気がする。結論から言うと、ブログ文化というのは決して滅びることはなく、なんらかの形で残り続けるとは思うが、今までと同じ形では存在できないのではないかと思う。
既存のTwitterのような短文SNSの文化圏での、過剰に時間を奪うレスポンスや誹謗中傷などが嫌になったユーザが、ニュースレターやポッドキャストなどの比較的古い形態の情報発信に回帰する流れが発生してるのだという。こういうのはアメリカのZ世代の若者たちの間で密かにブームになっているようであり、最近は「クラフトインターネット」というムーブメントも発生している。
Twitterで特に顕著であるが、既存SNSは管理会社の思惑次第でアカウントを凍結させられたり、勝手に話題の流れをアルゴリズムで操作されたりする。過去の時代であれば、マスコミがTVや新聞のようなメディアで、恣意的なニュースで民衆の意見をコントロールしていた。それを、GAFAMやイーロンマスクのようなビックテックのプレイヤーがやるようになってるのであり、そのSNSで所属してる民衆の考え方をアルゴリズムのフィルターバブルでコントロールしようとする。
現代のSNSでアテンション・エコノミーでやたらに過激な言葉ばかりが反響して、社会の分断が加速されてるのなんかはその最たる問題点だろう。このSNSのプラットフォーマーを取り締まれるようなのは、行政や国家が法規制するぐらいしかやれなさそうだけど、表現の自由の問題が絡んでるせいか行政はいまいち腰が重い。まぁ、水面下では誹謗中傷に対するプロバイダー責任制限法の緩和なども日本ではあったりして、誹謗中傷への起訴がやりやすくなったなどの変化はある。
話題が逸れたがね、僕的な皮膚感覚では、中央集権型のインターネットに対するカウンターというのはいずれ起きると思うんだよ。それが、何かしらの大きな事件が起きてから一気に革命のように起きるのか、それとも徐々に気がついた人たちが緩やかに移り変わっていくのかは分からないけど、インターネットの主導権を個人に取り戻す運動というのは起きている。こういう流れがあるので、いずれはブログ文化が再びリバイバルすることはありうることだよなと、僕は思うのである。