超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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不幸な人は不幸になるべくしてなってるんだと思うな。

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結構過激なタイトルをつけてしまったんだが、僕のそんなに短くない人生経験から言ってもそうだなと思った。人の幸不幸ってのは考え方次第って所があって、自分で不幸だと思っている人は不幸である。どん底にハマっている人はどれだけ他人が言葉を尽くして救おうとしても救うことはできない。自分でその穴に気がついて立ち上がらない限りはどん底のままである。今日はこの辺りの幸せについてねちっこく追求していこうという趣旨のエントリーである。


まー、なんつーかさ、僕は客観的に見ると結構不幸なはずなのよ。統合失調症患っていて、無職で、貯金もない年金生活者で、彼女もいなくて結婚できる見込みもないからな。それでも実感的に不幸か?と問われると「別に」って感じ。雨風を凌ぐ家はあるし、三食食べれるし、家族もいるし、就労移行支援を利用して就職活動もしている。前途洋々とまでは表現しにくいけど、ちょっとづつ人生は立て直しができてきている。急性期で自殺未遂を起こして、医療保護入院保護室にぶち込まれていた頃と比べると、間違いなく相対的に幸せになっている。


閉鎖病棟保護室にぶち込まれていたときはまさしく人生のどん底だった。リノリウムの上にベットのマットレスだけあって、他には和式トイレの便器だけ。水中毒の患者が大量飲水をしないようにトイレの水も職員に声を掛けないと流れない。いや、ホント酷いんだから保護室は。大体、5~6畳ぐらいの部屋で外から監視できるように一箇所だけ強化プラスチックの壁になっている。三食の時間以外は人の姿すら見ることができない。僕が居たときはやたら呻き声を上げる患者がいてうるさかった。隣室の患者は大声を出して暴れていて、昼も夜もドアを蹴り続けていて眠れなかった。僕自身、このときは妄想が酷くて、この保護室は死後の世界でここは地獄的なものだと認識していた。


実際その頃の自己認識ってのは、神様に祟られていてから死ななければいけないって理由で車で電柱に突っ込む自殺未遂しているからな。シートベルトしてたから怪我一つしなかったけど、車は廃車ですよ。すぐさま死ななければいけないって考えていたからね。家族が医療保護入院させて保護室に入れてないと間違いなく自殺を成功させてただろうな。保護室ってのはあんまりいい印象がないけど、自殺やら他人への暴行をする患者はここで保護しといたほうがいい。傍目にみると監禁されているだけだけど、精神的な刺激がない部屋だから心が安定してくるのね。緊急時はここに入れて強めの薬で安定させることが今の精神医療の常套手段ですな。まぁ確かに非人道的に見えるんだけどさ、僕は保護室に入れてもらったことで命を救われているからね。患者を周りの刺激的な環境から保護するための部屋だから保護室なのよ。


しかしまぁ、今だからこういうふうなことを言えるぐらい安定はしているけど、この当時は酷かった。自分が霊的な力を持っていると信じ込んで、閉鎖病棟を霊的な修行場だと思って色んな人に支離滅裂な話を話しかけていたからね。独語も酷かったから周りから見たら典型的なキチガイだったろうな。それから少しずつ薬が効いてきて妄想が収まった。半年ぐらい入院してたが退院することができた。その後は陰性症状地獄ですよ。


入院していたときのモチベーションは退院後、すぐさま働き始めて社会復帰することだった。だが、自宅に帰ってきて何かをしようとしても全くすることができないのよ。1日の睡眠時間は14時間。トイレに行くことすら辛くて、風呂などには全く入ることができない。食事をしてるか寝てるかどちらかの生活が1年近く続いた。妄想や幻聴などの陽性症状は過剰に脳が働いている状態だから、収まると反動でこういう陰性症状が発生するのです。休息期ってやつでこの頃に焦って行動すると急性期に逆戻りする。


この頃、僕は何してたっけな。確か、ひたすら統合失調症の本やWebを読み漁って病気について学んでいたと思う。何をしようと思っても何もできない。できる自分のイメージだけは脳内にあって、やればできるはずなのに何もできない体についてのフラストレーションだけが蓄積していった。こういうときに家族などが責める場合だと多分、病気は悪化していくんだろうな。僕の家族は体が動けるようになるまでひたすら待ってくれた。特別なにかをしてくれた訳ではないんだが、引きこもり状態を全く責めなかったんですな。僕の妹は病院のケースワーカーなんで、この辺り理解していたらしい。多分、僕は相当運が良かった。


で、現在に至るわけだが、別段、病気を憎いとも思ってないですな。この病気を選ばれた才能だとかいうヨタをとばす気にはならんけど、状態の変化であるという程度の認識はしている。僕の人生の通過点であって、そこで何かが変わったわけではない。病気を取り込んだ上での僕なんである。人生は続いていくんだから自己憐憫をしている暇はない。今まで培ったビジネスキャリアの予熱でなんとかやりくりする程度のことはやらないといけない。生きることに必死で不幸だと思う暇がないな。いささかマッチョな言説だとは思うが、不幸な人は不幸だと考え込むだけの暇があるから不幸なのよ。必死に生きようと思っていればやるべき事は見えてくると思う。


浅田次郎の「壬生義士伝」の好きな言葉で締めよう。閉鎖病棟にいる間はこの本を三度繰り返し読んだ。

「どのみち死ぬのは、誰しも同じだ。ここでよいと思ったら最後、人間は石に蹴つまずいても死ぬ。戦でなくとも、飢えて死んだり、病で死んだりするものだ。だが生きると決めれば、存外生き延びることができる。」


浅田次郎 壬生義士伝(上) p388


壬生義士伝(上)

壬生義士伝(上)


壬生義士伝(下)

壬生義士伝(下)

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