超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

毎日書くことで誰かの記憶に残るといいなぁ。

毎日書くことで誰かの記憶に残るといいなぁ。


またしてもセンシティブな事を書いて病んじゃうんだもんなぁ。いつものことだけど自業自得である。どうもさ、ブログで書いてることと自分のメンタルの状態というのは連動してる部分があって、それはどちらが卵か鶏かというのはよくわからん問題なのである。


気分が悪くてぐちゃぐちゃの時でも、空元気を振り絞ってブログでポジティブな事を書けば回復することもあるけど、逆もしかりであり、普通のテンションの時にやったら精神的に重い問題を掘り下げてしまった場合にはそれが原因で地の底まで沈んでしまうこともある。


ま、いずれにせよ、統合失調症のことについて書くのはこのブログの裏テーマのようなところもあるんだ。昨日も書いたところもあるけど、ほとんど寛解してるような状態の今でも病気の事を書いたりするのは、これが社会貢献になるかもと思うところがある。僕はそこまで善意に溢れた人間であるという訳ではないが、どうも僕の属性は統合失調症の要素も持ってるであるし、社会の偏見とか差別を見て見ぬふりをしてると茹でガエルになるという可能性があるしね。


僕自身が自分の身上を明らかにした上で、オンラインでこんな風に日常の事を語り続けるブログを書いているという理由は、ルーチンであるとか承認欲求があることも否めないが、自分という存在がいたことをしっかりと文字にして残しておくことにこだわりがある。


文字を書いて言葉を残すこと、というのは不思議な魅力がある。その時感じている気持ちであるとか、記憶の中にあったかすかな気配のようなものを、カプセルにでも閉じ込めるようにして意味をそこに固定する。これは、普段文字を書いていると当たり前のようなことではあるが、改めてよくよく考えてみるとすごいことではないだろうか?


しかも、今の時代はインターネットがあり、僕が気散じ程度にポツポツと書いた文章が、一瞬で世界中の人から読めるようにすることができるのである。その文章に対してちゃんと読んでくれる人がおり、時にはありがたい感想をいただくこともできるのである。


普段からテキトーでボンクラな事をダラダラと綴らせてもらってる弊ブログであるが、本当にこんなに個人的で瑣末なことばかりを書いてしまってもいいのか? という恐れはいつも付きまとう。別にこれで原稿料をもらってるということでもなく、自分が好きだからといって書いてる文章ではあるけど、今でも1日200人ぐらいの人には読んでもらってるブログがこんなに私事ばかりで良いのかという申し訳なさはある。


や、毎日炎上しそうな社会問題ばかりを大上段でバッサバッサと切りまくってるブログというのもそれは胃もたれするけど、毎日極めて私的な話しかしてないこのブログもどうなのよと思うのである。たまには世間に属する一市民らしく、自分の意見を世に投じて是非を問い、少しは世の中を良くしていくために活動するべきではないのか?


などと考えてしまい、たまに柄にもない社会派記事などを書いてしまうこともある。書いてみて思うのであるが、やっぱり僕は他人に意見したりするのが得意じゃない。元からの精神性というのが、僕個人のささやかな生活の平和を守ることが最優先という、JOJO第四部の吉良吉影のようなやつであり、他人に自分の意見を話す時もまず最初にリスクコントロールを考えるタイプである。


僕は世の中で災害があったりとか困った問題があるのなら割と募金をしたりする。それもまあ自分自身が「いいやつ」であることを再確認して、自己効力感を高めるための行為である。偽善的な行いであるが、別に私欲で募金した金に色がついてる訳ではない。どのような思想であろうが現金はその無名性であるがゆえに価値があり、僕が偽善的な思惑から募金した金で困った人が必要なことに使うのなら、それは僕の思惑に関わらず誰かの役にたっている。


僕自身の一番の価値観というのは自分の身の安全なのだけど、それにプラスアルファで誰かの役に立ちたいという気持ちも強いようなのである。自分自身が無理をせず、安全地帯の中から自分の出来る分のリソースで人助けをしてみたいという気持ちもある。


よく分からんのだが、僕が働いたりする理由というのも社会参加や誰かの役に立つことが目的だったりする。意外と自分の価値観の中で「他者貢献」というのは大きい要素であるようであり、困った人を助けたいという気持ちは割と強い。


自分自身がこうしてブログで毎日日記を書くのであれば、それが誰かの暇つぶし以上の価値になればいいなと思う。僕のような変な奴がいると認識してもらい、その人がなんか変なことを言っていたというのを記憶の片隅にでも残して貰いたいのである。


いつかは消える電子の藻屑といえど、僕がここで書いていたことが誰かの記憶に残るのなら、それは自分の生きた意味にもつながるようなことだと思う。僕が将来、何か大きな業績を残して多くの人の記憶に残る事ができるかは分からんが、現時点ではこうやって毎日書くことは間違いなく生の実感につながっている。


追記:はてなブログのヘッダーのデザインが変わったらしくてクソダサい。これは直近のブログカスタマイズで直します。

プライバシーポリシー免責事項