超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ダイバーシティと嫌な情報を見ない権利を考えた。

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ダイバーシティと嫌な情報を見ない権利を考えた。


さてー、やる気ナッシング侍トゥーマッチオーマイゴッドファーザー降臨よいしょ。フースーヤだっけな?嫁さんが好き。金曜日は駄目だね。もう、全身に疲れが回った状態で残りゲージ3ぐらい。やる気ないけどかろうじてブログを書く気力だけは残している。


さーて、今日は何を書くかな。こういうツイートしたりした。



ここんところ、twitterを彷徨ってると見たくもないのに差別ツイートが流れてきてうんざりしているのよ。コロナウイルス関係でタイムラインが殺気立ってるし、神経が毛羽立つ情報ばかり流れてくるなーと思う。


実際どうなのかなーって、僕は障がい者の当事者である故に多様性の重要性は立場上、最重要なものとして主張しておかないといけない。まさかだけど外国人が差別される国で障がい者が差別されないわきゃないので、自分の社会的な立場を守るためにも多様性の普及活動は重要なのである。こういう事例についてはニーメラさんの詩を引用しておこう。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia


で、まぁダイバーシティの重要性は主張しすぎてもしすぎるということがないんですけど、ツイートの方で社会活動せんとならんな、と書いてるんですけどどういう風に活動していきゃ良いか分からんですな。時たま、このブログでもそういう障がい者福祉の事だったりを書いたりするんだけど、僕のブログはあんまり多くの人に読まれるって訳でもないですもんね。月間10万PVとかそんぐらいあればまた変わってくるのかもしれないですけど。


なんでまぁ、こういうセンシティブなツイートもたまにする訳ですよ。実際どうすんべやな?みたいな事は考えていて、僕は障がい者としては動ける方なので、暇ができたらピアヘルパーの講座なども受けてボランティア活動等もやったほうが良いのかな?などと考えていたりもする。


でも、こういう事を書きつつ、短時間で自己撞着するような事もツイートしてやがんなと思う。こういうブコメを残した。



多様性を認めるならば、ネットにあるいろんなアカウントの流す雑多な情報も、ネトウヨパヨクフェミヲタ関係なくぜーんぶ読むべきか?と問われるなら、僕はtwitterなどでは喧嘩している攻撃的なやつとかめんどくさいやつは全部片っ端からリムーブミュートブロックする。ツイートでも言ってることだけどネットで流れてる情報とか声が大きなノイジーマイノリティの暴論とか、売らんかなで過剰広告した宣伝ばっかりになっている。それらに全部目を通していると、時間的が足りないし精神的にも消耗してしまう。


こういう主張も折り合い付けないといけなくて、多様性を重要視するのに他人の意見は黙殺するのか?的な事を言われると非常に弱いなーと思った。なんでまぁ、理論武装しないといかんのかねとか考えている。ブコメをざっと目を通したけど、僕的にはこの方の意見に賛成だな。


「不快なものを俺の視界に入れさせるな」圧が高まってるよな

公共空間の使い方というのは各々が節度を学んでよくしていくしかない。ブロックと垢BANは違う。私的空間では楽しむ自由もあれば不快なものを遮断するのも自由。でも存在を消そうとするのは電脳世界での殺人。

2020/02/21 15:09
b.hatena.ne.jp


別にツイッターのTLとか公共空間って訳でもなくて私的な空間な訳でしょ? 電車の中で嫌いなおっさんの存在を抹殺しようとするのは差別的かもしれないけど、自分の家の中で見たくないCMが流れてるTVを消すことぐらいは別に権利かな?って気がする。


twitterにせよ、どんなに極論であってもその発言をできないように垢バンさせるのを運営に強制するのは間違ってるかもしれないけど、見たい情報を選んでTLを構築したり、不愉快なユーザをブロックしたりするのは私的自由の範囲内でしょ。むしろ、僕的にはそういう各々がプライベートな環境を大事にできる権利を保証する事がダイバーシティ的かなー?みたいな気はする。

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