使えるドキュメント管理を行う知的生産の方法を身に付けたい。
日曜日であるね。今日も休日である。午前中にいつもの美容室に行ってきて髪をカットしてもらった。午後からは自室で届いてる郵便物の処理をしたりとか、先週の振り返りをやったりしていた。このブログを書いてる時間は17時ごろであるけど、夜からは年賀状のイラストを描こうと思う。
ひとまず僕は土曜日か日曜日に先週の振り返りをするようにしているけど、これが有効に動作してるかは定かではない。僕は毎日Scrapboxに打刻してメモを残すという習慣があるのだけど、その一週間分の記録を振り返って先週は何があったとか来週はどういうことをするかということを決めるのである。
これでも僕は一度はプロジェクトマネージャーをやったことがあるけど、この手の週報での振り返りというのは長期プロジェクトをきちんとガントチャートなりで週ごとのやるべきタスクを決定しておき、そのプロジェクトの進捗を振り返ったりするために使うようなツールである。僕の週報での振り返りというのは、メモがどんなことが書いてあるとかどんなことを感じたという感覚的なことを書いてあるだけであり、長期目標を管理することなどは全然してない。
ここんところのタスク管理というのをもっとシステマティックにやってみたいという思いはある。できればGTDとかちゃんと勉強し直してやってみたいよね。ちょっと前にもブログで取り上げたQiitaの記事であるけど、この方法での自己管理というのをやってみたくもあるのである。
せっかくサブスクでmiroやTodoistも契約しているのに、きちんとしたタスク管理でのやり方では使いきれないでいる。この辺りのタスク管理であるとかプロジェクト管理のやり方を理解することができたら、仕事の方でもやれることの幅が広がるというのもあるかもしれない。
ドキュメント管理とかもどうしようかというのは考え事なのである。僕は自らのことを「強度のメモ魔」と称してるように、何でもかんでもメモを取らないと気が済まない。基本的にはScrapboxを個人用のデータベースとして利用しており、そちらに思いついたことをメモをとりまくってる。自分がライフログを付けるためにFlutterでScrapboxにライフログを取るための個人アプリまで開発した。
だけど、こうやって日々のことをログを取りまくるのは良いのだが、それを未来の自分が振り返ったりとか他人に読ませるために理解しやすいドキュメントを作成する能力というのが欠けているように思えるのである。メモを書いたら書きっぱなし、後から振り返りもせずにひたすらメモを死蔵するという悪癖ができてるような気がする。
だからこそ僕は週末に今週書いたライフログを振り返り、それを整理したりとか来週の目標を決める振り返りの時間を設けてるのである。
メモを取ったのならばそれを第三者が読んでも分かりやすいようなドキュメントにする必要がある。そこんところに気がつかされたのは牛尾剛さんの「世界一流エンジニアの思考法」を読んだからである。
この中で、microsoftのエンジニアで聞かれたことはなんでも即座にスラスラと回答してくれるような強いエンジニアの習慣について書かれているのだけど、彼女は自分が知った知識については誰でも読んでもわかるようなドキュメントにして手持ちの資料を整理してあるようであり、誰かから疑問点を聞かれた時はその資料を渡したりして回答するのだという。
僕も仕事の上でとかプライベートで何か疑問に感じたことがあれば、すぐにScrapboxを検索してみて過去ログを引っ張り出したりしてくるけど、その時に出てくるログというのは乱雑に書かれたメモばかりであり自分で読んでもよくわからないことがある。こういう乱雑なメモを少しは使えるようなドキュメントの形式に整理をして使える資料にしておく必要性というのを強く感じるのである。
僕がこんなふうにメモを書きまくる目標としては読書猿さんが「アイデア大全」で書いていた「エジソン・ノート」というのが非常に優れた先行例ではないかと思う。
発明王、トーマス・エジソンも非常なメモ魔であった。エジソンは思いついたアイデアや他の人が発明した特許の記録、また社会で起きた事件に関する私見であるなどといろんなことをノートにメモをとった。その数は生涯で3500冊ものノートを書いたのだという。エジソンはそれらの書いたノートを度々振り返り、思いついたことをさらにノートに追記して書いていくようなやり方で発明のアイデアを練ったとされている。
僕もこんな風にしてメモをするならばそのメモを有効に使えるようにするドキュメント整理の方法を身につけたいなと思うのである。ブログを書くにしてもちょっとは深みがあって信憑性があるような内容を書きたいであるし、そのためには必要な時に即時に振り返れる個人用のデータベースがいる。ちょっとは情報の整理整頓を行なって、自分なりの知的生産の方法を開発してみたいものだ。