超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

良い文章を書くようにしてブログを長く続けたいよね。

良い文章を書くようにしてブログを長く続けたいよね。


今日もいつものようにぼんやりと仕事をしていると、はてなの通知に妙なものが飛び込んできた。はてなブログの公式からidコールが来た。


なんのことだろうと確認してみると、以前書いた記事がバズってしまいはてなブログのランキングに載ったようである。


blog.hatenablog.com


「あー、なんかたくさん通知が来てたなー」と思い出したけど、僕はバズった時のはてブの通知に関してはブログの知り合い以外の通知は読まないのである。理由はさまざまあるけど、ああやってバズった時のはてブの中には神経をえぐるコメントを書く奴がおり、僕はそれを読むとモロにダメージを喰らって数日に渡りメンタルの調子を崩すことがあるので、ある時から知らない人のコメントは読まないことにした。


しかしまぁ、久々にバズったな。まー、60userぐらいで極々小規模であるんだけど、それではてなブログのランキングに載ってしまうというのは、よっぽどはてなブログをブクマカがブクマしないんだろうな。これは互助会問題とかはてなブログの歴史的背景があるんだろうけど、僕ははてなブログはてブのコミュニティについては交わってもお互いに幸せなことはないと思うので、これで良いと思う。


たまにバズったりとかした時に色々と考えることがあるのだけど、「バズる文章というのは必ずしも良い文章ではない。では、良い文章とは何か?」ということについてモヤモヤと思考を巡らせる。今回僕が書いた文章も、自分のブログの中では比較的読まれたけど、普段の日常の中の思考を普通に書いた日記である。意図しないところでバズったので、こういうことがあると考え込んでしまう。


まあ、僕も長年ネットでブログを書き綴ってきた人間なので、意図的にバズらせる書き方というのは分からなくもない。瞬間的にレスポンスが得られるような文章というのは、毒を混ぜてみたりとか読み手の感情を煽るような表現を使って、あえてツッコミどころを用意してやればいい。


TwitterのようなSNSでもバズらせるには同じ要領である。難しい判断が分かれる事柄を勝手に断定したりとか、読み手がなんか反応を返したくなるような表現を使えばいいのである。難しいことを理解しやすく丁寧に説明してあげるというのが本当はありがたいことなのであるが、ネットで思考リソースを使って書き手の意図を理解して読もうという人は少数派だ。バッサリと単純化してフレームに当てはめて、難しいことを単純明快な言葉で断言する人を多くの人がありがたがる。


このような断定型の文章というのは、アテンション・エコノミーで回っている現在の世の中では多用されるようになった。本当にこの提示してる情報が相手の役に立つかどうかとかはどうでもよくて、とりあえず注意力を奪って広告を見せつけて広告料さえ稼げれば良いのである。これはそこらへんにあるWeb広告を見てもらえれば分かるだろう。でっかく不愉快なコンプレックスを煽るような広告やエロ漫画の広告ばかりが溢れている。ああいうのは誰が踏むのだろうと思うかもしれないけど、不愉快なものに注意を奪われると気になってクリックする人というのは多いのである。あれは人間心理をうまく利用した仕組みだ。


ちなみに僕のブログでも広告を出しているが、こちらについてはわざわざ毎日Googleアドセンスの広告管理センターでちまちまと確認して、不愉快なコンプレックス広告については排除している。あれらの広告というのは掲載してるブログ主の顔に泥を塗るようなものだ。なにより、僕は自分で自分のブログを読み返すことが多いのだけど、その時にイラっとする広告が出てると腹立たしいからわざわざ広告管理センターで選んで消してる。まぁ、それはどうでもいい。


短期勝負で稼いだりとかアクセス数を集めるためには、不愉快なコンプレックス広告にならい、読者を怒らせるような表現を使えば良いである。わざと煽り口調で喧嘩を売るようなことを書いたりとか、難しいことをどこかの党派性に偏らせて断言してやるようなことを書けば多くの人の注意を集めることができる。実際、そんな感じでアテンションを稼いでる人たちというのはSNSにたくさんいる。


しっかしまー、こういう人の感情を煽ってアテンションを集める表現というのはあくまでも短期的であり、飽きられたり手のひらを返されるのも早い。世の中ではこのように感情を煽ってアテンションを集めるあまたのプレイヤーで溢れているのであり、消費者はあくまでもそれらを消費しているだけなのである。みんなそういうことにうんざりし始めてるし、そろそろ世の中の流れも変わるのではないかと予測してる。


僕も多分、年内で3000日連続更新をするぐらいにはブログを長く続けてきたのだけど、長く読まれるブログを書くためには感情を煽ったりするような表現というのは悪手と分かる。そこんところで長く読まれるような表現というのはなんだろう? と考えたりするのである。


こういうことを考えた時の僕の結論としては、自分自身が知ってる普遍的な価値観というのをしっかりと文章に含めることなんだろうなと思う。それなりにちゃんと世の中も観察した上で、独りよがりにならず、自分が考え抜いた上でこう思うという事柄を自分の言葉で表現することが大事なのだと思う。僕はブログは長く続けたいと思うので、そういう価値観でブログは書いていきたいなと思う。

プライバシーポリシー免責事項