超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ブログを書き続けるなら「エゴ」と「承認欲求」の比率が大事。

ブログを書き続けるなら「エゴ」と「承認欲求」の比率が大事。


この記事を書いてるのは4月7日の日曜日の夜である。旅行の時に楽をするために前もって書かれた下書きである。


こういう記事についてはいかにも扱いに困るところがある。やはり、僕のブログ記事というのは日記の延長線上であり、連続記録を守るためだけにストックを作るというのは好みじゃない。その日に何があったかを夜に思考を整理するために書くのが自分の流儀であり、そのマイルールを崩してまでこういうことをやるべきことなのかというのは悩むところだ。


とはいえ、まぁ、2800日近くも連続更新を続けてしまったものであるしな。こうやってブログをちゃんと毎日継続して8年近くも連続更新を続けられたというのは、わりかし自己評価の低い自分の心の支えの一つなんだ。マジで体が動かなくなるまでブログを継続してやろうかという皮算用もある。ひとまず、ブログに関しては可能な限りは連続更新を続けるので、お付き合いよろしくお願いします。


最初に書いたことであるけど、僕がこうやってブログで書いてることというのは、第三者に読まれるためのコンテンツというよりは、自分の日記の延長線上という感覚が強い。毎日、思いついたことを定期的にログに残しておくことで、後から自分が振り返った時に自分の体調であるとか悩み事を分析するためのツールとしてブログは使ってる。


こんな風に他の人も読んだりするような半パブリックなスペースを、本当に私物化していいのかというのは時々悩む。ここは僕がはてなブログに間借りして、そこに書いた文章を、僕のやってる事に興味を持ってくれたありがたい読者様が定期的に読んでくれる。というのが、ひとまずの存在理由である。


こうやって好き勝手自分の思いつきばかりを書いてるように思える僕のブログであるが、それなりに他人に興味を持ってもらえるような話題作りは自分なりにやってるのである。本当にはてなブログ運営が提唱したような「純日記」というのをやってしまった場合、書いてあることはほとんどの人には理解不能な私事ばかりになるはずであり、そのようなブログというのは人気のある芸能人でもない限りはコンテンツバリューというのが全くなくなる。


時々、このブログの創作論の記事でも書くようなテーマであるが、「エゴと承認欲求」のブレンド具合というのがブログ運営でもミソである。本当にエゴの方に振り切ってしまい、完璧に日常の私事しか書いてないブログというのは、よっぽどの物好きでもない限りは読み続けようとは思わない。まぁ、本当にその人の生活に興味を持ってくれる数人が読み続けてくれたりなどはするけども、日記ブログで万人受けを目指すのは無理だろう。


かと言って、承認欲求側に振り切れるのもなかなかにしんどいのである。ブログでアクセス数などを集めようと思う場合には、SEO対策であるとか普通に書く以外にも気をつけなければならないことが増える。別に検索受けを狙わないにしても、人の興味を惹けるようなネタ作りを毎日やり続けなければならず、それを長年にわたって続けていくというのは、考えるだけでもしんどい。


それに本当に多くの人の需要がある記事を書こうと思うのなら、承認欲求は消したほうがいい。ブログで稼ぐとかそんな商売なことを考えてブログ運営をする場合には、そのブログでまとめられてる情報が有益かどうかだけが問題である。それを誰が書いてるなどの作者の存在の価値は、記事についてる注釈以下だ。


僕はまぁ、そういう「日記ブログ」と「お役立ちブログ」のいいとこ取りができないかななどと考えてる。どっちかいうと日記ブログ寄りではあるが、読んだ人がなるほどと思い、書いてる作者の思想に対して興味を持てるような導線は作れないかと思い記事は書いている。7:3ぐらいでエゴと承認欲求をブレンドしており、自分が書きたいテーマを優先するけども、その中でもそこに他人が関心を持てそうな雑学を含めるぐらいのバランスでやらせてもらってる。


ブログを長く続けたいと思うのなら、自分が書きたいことを書けるようにエゴの比率を増やしたほうがいい。どうも書くことというのは、他人の目を意識してウケることを書こうと思うと途端にしんどくなる。文章を書くことでも、思いついたことを自由に書く作文は楽しいが、そこに学校の読書感想文のようにテーマや結論で導くべき方向性なんてものをつけられると全然楽しくない。


自分が読んだことを読まれることは楽しいではあるけど、そこに自分の主張したいエゴが含まれてないと満足には繋がらない。人が何で文章を書いて人前に晒すかというと、それは自分の考えてることを認められたいからである。自分が入ってない文章が絶賛されてもつまらんもんである。他人に認められるためには、他人と共有してる知識や感情というのを文章に含めなければならない。そこんところの比率というのはブログを書いてる書き手それぞれが自分の感覚で掴むものだろう。

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