超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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今日はなんか色々と拗らせてる。

今日はなんか色々と拗らせてる。


今日は実は父がたの祖父の告別式だったんだよね。本来だったらそれほど近い関係の親族の葬式であれば大騒ぎになってそうだけど、僕んところの家庭の事情というのはちと特殊なので、告別式だけに参加して帰ってきた。


この祖父とは盆と正月とかのタイミングで挨拶に行ったりする関係だったのだけど、親族の死ということで微妙に色々と考えることがある。ブログにあんまりセンシティブなことを書くと、またメンタルを病む原因になるので、こういうややこしいことはカウンセリングで話してこようと思う。もしくはローカルのメモ帳で色々と書きながら考えてみるとか。


うちの一族の事情というのは、語り始めると書籍一冊分の分量になるぐらいにはややこしい問題を抱えているのでブログでは語れない。や、いずれは書かないとならないと思うのだけど、僕の文章を書くときのスタイルとして「型にはまらない自意識は見るに耐えない」という方針を持っているので、読んでも面白くなさそうな単なる自己憐憫の垂れ流しの文章なんてものは絶対に書かない。


心理学用語で「コンプレックス」という言葉は対人コンプレックスのような、問題となってる症状を指すような使われ方をするけども、本来は無意識下でいろんな要素が絡み合っているような状況を指す概念なんだよね。親子関係であるとか過去のトラウマとか、そういういろんなものが絡み合って今の性格を形作っていると考えられている。


自分の性格上の問題を形作ってるコンプレックスというのは、こういう親子関係とか一族の問題も大きく絡んでるんだろうなーと思う。そういう自分の祖父母の世代とか親の世代がこしらえた問題を、僕が解決するのを望まれてるような雰囲気も感じるんだけど、どうにも僕の人生というのも社会的に見るとすでに破綻してる状態である。一人で生きることだけで精一杯であるし、とりあえず僕はそういう問題というのは自分の世代のところで子供を作らずに終わらせようかなと思ってる。


匂わせ文章というのも大概性格が悪いのであるけど、こういう極めてプライベートな問題に対しては口を挟まれたくもないんだよな。こういうコンプレックスが絡んでる問題に対して小手先だけの口先で解決できる訳がない。その人の人生全部を背負う覚悟もないような他人に分かったような口をきかれるのも大層業腹である。


今回書いてるエントリーというのは独り言みたいなもんだね。祖父に対して思うことも色々とあるのよ。僕なりのコンプレックスの解消方法というのは、こんな感じで普段書くメモの中で徐々に問題に対して言及しつつ書きながら考えて、自分の背負ってる重荷を背負っても楽な持ち方というのを考えるようなやり方なのよ。


僕の書くブログというのは、こんな風なセルフカウンセリングの要素もいくらか含まれている。僕の人生というのは恥の多い人生というか、どうにも訳の分からんぐらいにハードモードでまじめに考えるとやってられないんだよね。他の人のブログも色々と読んでみたりするけど、人それぞれにいろんな問題を抱えている。その問題に対しての取り組み方というのも人それぞれであるけど、僕はなるべくならば人生の課題というものに対しては真摯に向き合いたいと思っている。


僕の人生において文章を書くことというのは大きなファクターになっている。ブログで毎日どうでもいいような雑文を毎日書き散らしているけど、これは誰のために書いてるのかと問われると一番は自分のためである。こちらのブログで書かれている文章というのは基本的には僕の日記であり、それをブログでの情報発信のように他人も見ることができる場所であるからまぁ、それなりに第三者が読んでも興味を持てそうな出来事だったりトリビアだったりを含めているのだ。文章を書くときにもっとも重視していることとしては自分が書いていて楽しい文章であるかということであり、それを他人が読んでどう感じるかというのはコントロールできないことだと思ってる。


僕がブログを毎日書くことで向き合ってるのはまずは自分であり、そして余力があれば社会貢献であるとか誰かの役に立つ文章を書いてみようと試みてる。実際のところ、僕は人間の力で他の誰かの思惑を変えることはできないと思う。人はそれぞれその人の視点で世界を観測して、それで自分の考えを持ってその人なりの生き方をしている訳で、他人の考え方に対して口を挟んで考え方を変えようというのは増上慢であろう。


人間関係において、自分も大切にできない人が他人に対して親切に行動することもできないと思うんだよね。夏目漱石個人主義に関する文章を書いているのを読んで共感したことがあるけど、個人主義を極めることで他人の本心と通ずるトンネルのようなものもあるんじゃないかなと考えたりする。こういう個人の中でのコンフリクトを解消するために物語を書けたりするとすごくおもしろいけどな。

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