超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ストレス社会に必要な忍辱の考え方。

ストレス社会に必要な忍辱の考え方。


いろんなものにつくづくうんざりとしている。仕事はさっさと辞めんとなーみたいな気持ちが強い。


まぁ、僕もネットをフラフラとしてきた人間だからサラリーマンがブログなどで仕事を辞めたい辞めたいと喚きつつも延々と毎日愚痴だけを言い続けてるシーンなども目撃してきたので、そういう愚痴だけ言う態度というのはますます疲れるだけであるなと思うのだが、どうにもこうにもイライラすることばかりでやりきれない気分が強い。


今日はストレスコーピングのためにラーメンでも食べてこようと思う。いちいち会社でイライラした気分を自宅にまで持ち込んで、家で会社のことを考えても一銭にもならないのである。仕事でイライラした気持ちについては帰宅する途中でさっさと振り払っておき、家ではブログを書いたりとか個人開発をしたりみたいな楽しい気分で過ごしたい。


転職活動については、ひとまず転職サイトでどんな状況なのか確認することをやってる感じである。今はとりあえず自分の個人開発をやってるプロジェクトを完成させて、ポートフォリオに載せられるような成果物でも作ろうかななどと考えている。リクルートエージェントのような一般就労向けの転職エージェントを、障がいをオープンでできないか交渉してみたりなどしてみようかと考えているけど、とりあえずはちゃんと履歴書や職務経歴書の完成度を高めていくのが肝心であるかなと思う。


自分がどんな環境で働きたいのかという、仕事の目的のようなものもはっきりと言語化できてるとは言い難い感じなんだよね。とりあえず、Flutterのアプリ開発ができてリモートワークで働くことができて、人間関係が悪くないところで働きたいななどと考えてる。プログラマとして成長するために勉強は続けられるところが良い。あと、僕はマネジメント関係とかその辺りの管理職はつくづく向いてないと今の職場で思い知らされた。死ぬまで技術職でスペシャリストを目指す方がいいだろう。


自分の条件をきっちりと言語化して転職サイトなどでフィルタリングする条件を決定しておかねばならない。あと、自分の強みであるとか得意なことなどの棚卸しもしっかりとやっておくべきだろう。今の会社が嫌な理由とかもしっかりとポジティブ変換しておくなどの作業が必要である。その辺りの転職活動で必要なことはちゃんと長期的なTODOリストにリストアップしておいて、休日に時間を作って徐々にタスクを消化していこうと思う。


嫌なことに嫌だ嫌だと感情ばかりを消費していても何にもならんのである。問題があるのであれば、その問題が自分の力で解決可能であるかそれとも不可能なものであるかをしっかりと見極めた上で、その問題に対して問題解決のアプローチを取るのかそれとも視点を切り替える代替案が必要なのか決定しなければならない。


「耐えること」というのについて最近考えることが多い。自分の嫌な感情というのを抑え込んで我慢してしまうというのは、近年の社会においてはあまり推奨されてない方法ではあるけども、ある程度まで自分が嫌な場所でも忍耐するという堪え性というのは人生をうまくいかせるための1つの条件ではないかと思っている。


たとえば仕事が嫌だからといってすぐに仕事をやめてバックれるような人がいるけど、普通に働くためにはちょっとは我慢しないといけないようなことまで嫌になってジョブホッパーを続ける人もいる。いろんな責任や人間関係から逃げ続けたせいで、周りからの信用というのを完全に失い、人並みの生活を送るのが難しくなることもあるだろう。この人ならばある程度安定してコミュニケーションが取れたりとか成果を出してくれるという信用を作るためには、ある程度までは一箇所で頑張って働いたりなどと忍耐する力もいる。


仏教には「忍辱」という言葉がある。これは「にんにく」と呼ぶ。このような意味だ。

言葉通り外界からのプレッシャーや摩擦になどに耐え忍ぶという意味があります。

しかし外圧だけではなく、自分自身の出来ない部分、見たくない部分も認める。というのが忍辱の本来の意味となります。

他人の失敗は目につきやすいのが人の常ですが、自分の失敗に目をそらさずに認める事で忍耐力が向上します。モノゴトを他者の所為にしない事が、問題の本質を捉えやすくします。

また、モノゴトを正しく認識する事が他者に寛容になる事に繋がり、結果的に人間関係が良好になります。

忍辱|じつは身近な仏教用語|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト


不愉快な出来事が発生して自分の中に嫌な気持ちが発生しているときに、「自分の方が偉い」「自分が正しいのに」「こんなので悩む自分は全然ダメだ」という風な判断が生じていないか? こういう判断を仏教では「慢」という。世の中を生きてればいろんなことが起きる。そこに余計な判断を入れるのが苦しみを生み出す原因だ。外部からストレスを受けてる時だからこそ、自分の本性というのがわかってくるというのもある。そういう自分の不愉快な感情を「そんなものか」と理解した上で、事実は事実として理解して適切な行動を選択してけるリソースを温存することが忍辱ということではないだろうか?


物事にはタイミングというのがある。これは人間がバタバタしても仕方ないことで、事態が動くときには自分の意思とは関係なく勝手に動くものと理解しておこう。人の世というのはおもしろいもので、ちゃんとそのときに備えて準備をしておけば向こうからその成果が飛び込んでくるということもあるのである。嫌だ嫌だと言いながらも我慢して働いていたら、他社からヘッドハンティングが来たりとかストレスの原因の上司が左遷されたりみたいなこともありうる。


しかし、自己欺瞞はいけない。苦境に置かれたときだからこそ自分の本心というのをしっかりと見つめ、自分は本当はどうしたいのかをハッキリとさせる。そして、やるべきことが見つかったのなら勇気を出して行動すべきだ。今がそのときであるという機が見えたときに行動できるように、今は耐えてリソースを温存するのも必要な考え方であるよ。

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