超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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マイナスの人間関係からでも得ることはあるはずだ。

マイナスの人間関係からでも得ることはあるはずだ。


最近は習慣を見直して正しい生活習慣を送れるように気をつけなくてはならないなと考えているところである。年末年始に暴飲暴食をしてしまったからか知らないが、体重がとてつもない数値を示している。これは流石にダイエットに励まないと体の調子まで崩してしまう。肥満というのは万病の元というか、余分な贅肉がついていると体力も衰えてしまうし、活動意欲も減衰してしまう。元々、行動力が低い方の人間ではあるけども、これ以上何か先送り癖みたいなものが染み付いてしまうと困る。せめて、フィジカルの方は万全にしておいて何かチャンスがあるときには飛び付けるように準備はしておかないといけない。デブると思考力の方も鈍化してしまうので、食事制限と毎日の筋トレに励むようにしてまいろうと思います。


ちょっと最近の調子の方は普通といった感じ。年末ごろにまたしてもメンタルの調子を崩してしまって弱音ばかりのエントリーを書き連ねていたけども、温泉旅行に出かけたおかげでストレスが解消されてちょっとはまともな思考ができるようになってきた。この少しは思考に余白ができたリソースを使って、現在の生活でぶつかっているトラブルの問題解決を考えねばならぬなと思ってる所である。


どうも、会社を辞める辞めないで思考の堂々巡りを繰り返しているけども、昨日、このような大愚和尚の動画をみていた。


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僕は色々と人生の悩みが多いのだけど、大愚和尚の仏教による説話を聞いて色々と考えることが多い。どうも厄年というのは人生のあり方について色々と悩むミドルクライシスの時期であるらしく、僕もこれからの人生でどのような身の振り方をするか、どんな風に考えていけば良いのかなど悩んでいる。


今回見た大愚和尚の動画では、上司に嫌われてしまった20代ぐらいの若手社員が、会社を辞めた方がいいのかそれとも今の職場で我慢し続けるのが良いのか質問をしていた。それに対する大愚和尚の答えは、仏陀のエピソードを出してきて、自分自身の改善点や反省点を得られるまでは今の職場で我慢してみて、それから身の振り方を考えれば良いという風な答えであった。


まぁ、確かに人間関係で仕事を辞めるかどうかを悩んでいる人に対しては、この答えは正しいだろうなと思う。対人関係で好かれる人嫌われる人というのは、8:1:1ぐらいの比率で、どうでもいい人:理由はないけど嫌ってくる人:理由はないけど好いてくれる人、に分かれてくる。理由がないけど嫌ってくる人については、実は自分自身に瑕疵は何もないケースというのが多い。この嫌ってくる人は、過去に自分と似たような人に攻撃された記憶があるとか、相手の方に嫌う理由があることがある。


こういう人間関係の悩みというのはどこでも誰でもありがちで、アドラーあたりは人生の悩みは全て人間関係であるとまで喝破している。そこんところの悩みをうまくコミュニケーション能力を使って解消できる人もいるけども、どうしようもなくなってその場から逃げるしかなくなる人もいる。一番まずいのは、過度のストレスが掛かる状況であるのに我慢し続けて、鬱などのメンタルの障害を患ってしまうことであろう。僕はこれで一度やられているので、また同じ轍を踏まないようにしたいところである。


まぁしかし、ストレスが掛かる場所からは逃げる方がいいこともあるけれど、逃げ癖がついてしまうのは不味い。時々、ネットなどで見かけるけど、何かあるとすぐ逃げ出してしまい仕事がなかなか勤まらない人などがいたりする。堪え性というのが全くなくて、少しでも嫌なことがあると他人に理由を押し付けて、ひたすら責任から逃げ回っている人など見かけたりする。こういうのは周りの人間関係からの信頼というのを築けずに、徐々に収益や助けてくれる人などがいなくなってしまい、いずれ人生を詰む。最近のネットの風潮などでは少しでもストレスが掛かる場所からは逃げろなどと主張する人もいたりもするけども、周りからの責任をほっぽり出して逃げ出してしまうと色んな人からの信頼がなくなってしまうので、ケースバイケースである。


僕なりの大愚和尚の説話からの学んだことであるが、自分が責められる方のマイナスの人間関係からも、何かしらの学びがないか冷静に観察してみることが重要なのであるなと思う。職場にいる全ての人から嫌われていると思ってどん底の気分であるかもしれないけど、そのマイナスの人間関係の中に自分の問題点をあぶり出してくれるきっかけがあり、逆境により成長することもありうるかもしれない。


究極的な話、相手から好かれていようが嫌われていようが、人間関係を自分の糧にすることができればよろしいのである。自分自身の真の姿というのは、いくら内観を深めていこうが本当の自分というのは見つからず、対人関係で映し出される姿でしか本当の自分は知ることができない。馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。何事も経験してみることが肝心である。

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