超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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窮地に陥ると哲学とか勉強したくなるよね。

窮地に陥ると哲学とか勉強したくなるよね。


僕はScrapboxに毎日日報を書いてるのだけど、1月前、3か月前、一年前の記録を振り返れるようにリンクをつけるプログラムを作成して毎日過去の記録を振り返ってる。1年前の記録を読んでたのだけど、このストレッサーの同僚に追い込まれながらコロナを患った状態でリモートワークをして、プライベートでもぐちゃぐちゃの精神状態で働いており本当に辛そうだった。


今現在は最悪の状態の時と比べると少しは場の状態を冷静に見られるようになってきたかなという状況であるけど、それでも現在の状態は仕事では閑職に追いやられ、できない人扱いをされながら腫れ物でも扱うような対応を受けて、そのまま今の職場で働き続けても将来性はなさそうだなと考えている。


かといって、すぐさま仕事を辞めて転職しよーと会社を飛び出してしまうには、転職活動も上手くいってない感じ。ひとまず履歴書を書いてみたりとか、転職サービスからのスカウトメールを確認とかはしてるけど、どうにも自分は障がい者雇用でしか働けないというのがネックであり、仮にクローズで一般就労しても体調を崩した時にどうしようみたいなことは思い付かない感じ。


こういう自分の悩みごとについてはカウンセラーなどと話し合ったりもするけど、ひとまずハローワークなどに問い合わせてみて、こういう障がい者雇用の転職で使える社会的リソースを教えてもらうのが先決であるかな。


電話でハローワークに問い合わせたりとかしてるけど、そういう相談をするためのアポイントメントというのは予約をして1か月ぐらいは待たされるようであり、まぁ随分と気が長い話だよなと感じてる。


まぁ、今んところは今の職場では閑職に回されて一人きりでどーでも良いような仕事ばかりをやってるという状況であるけど、すぐさまクビを飛ばされたりとかメンタルが潰れそうという状況ではない。ひとまずテキトーに仕事をしながら思考を巡らして今後のどういう風な行動をしていくのか考えて、ちゃくちゃくと準備を進めて少しでも人生が良くなるように立ち回ろうか。


どうにも人生の今の状況というのは逆境であるが、社会人になって働き始めてこのかた順調だった時期というのを経験したことがないので、こんなものかと諦めながら現状を眺めている。なんか、世の中の人というのはそこまでブラックで精神を削られながら働くという経験はしないようなのだが、僕は何か性格的な問題があるのかなんなのか分からないけど、ブラック企業で働いていたら精神をぶっ壊して、障がい者になった後もパワハラをやる奴に目をつけられていじめられている。


んー、若い頃だったら自己憐憫とかもしてたかもしれないけど、この年にまでなってしまうと「またか」と呆れるぐらい。原因は分からないけど僕の人生というのは極めてハードなクソゲーで、物事が予想通りに順調に運んだことというのはないかもしれない。大抵のことは何か壁にぶち当たるし、順調だと思った瞬間に裏切られるの連続である。


そういうことに上手くいかないからと捻くれて腐り始めると、マジで地獄の底まで真っ逆さまなのであろうなと分かってるからまぁ、とりあえず人生そのものは投げないように気をつけてる。一度マジで統合失調症閉鎖病棟に入院させられて人生の底をみたので、ああいう世界に引っ張り戻されるのはゴメンだというのが今んところの僕の生きるモチベーションである。


なんじゃろ、仏教に興味を持ち始めた最初の頃は、宗教というのはいかんよなという風に考えていたけど、どうも仏教というのは心を楽にするためのノウハウ集みたいなもんなんだなと理解した。瞑想をやったりとか仏教的な考え方を知れば、僕みたいな人生クソゲーという人間にはすごく響く。


どうにも僕の人生というのは、何も考えずにボヤヤンと生きてるとあまりもの不幸の連続で虚無感ばっかり増えていく。なんで、自分の人生を生きる理由というのは積極的に探さねばならぬと考えて、アドラー心理学ストア哲学プラトンの哲学なんかを読んでみて色々と考えたりしてる。


僕のような立場の人間にとっては、こういう哲学や仏教から生きる理由を探すというのはことのほか重要で、物質的なものによらず魂や心を磨いてよりよく生きる生き方を見つけるというのはライフワークになりつつある。勘違いしてもらったら困るのだが、僕は自分は特別だと思い込みたがるスピリチュアル的なものにはまったく興味がない。しかし、ギリシャ哲学から流れてくる一連の哲学による、人生の価値をより高く導いてくれる学問には興味がある。


どうも哲学とか宗教というのは、人生の生き方に悩んでる人に対する学問なのであるなと再確認させられる思いがある。あれらの学問というのは単に小難しくて人にマウントをするためだけのものではなく、真剣に生きるのに悩んだ時に方向性を与えてくれる知識なのだ。


どうやら僕はそちらの方向性で真剣に悩まなければならないらしく、生きる理由とか真剣に追い求めておく必要性はありそう。ちょくちょくこのブログでもそういう哲学の話とか書くかも知れない。

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