自らが受けた性暴力について語り、連帯する「#metoo(私も)」。米国ハリウッドに端を発するこの動きは世界中に広まり、日本にも変化を生んでいる。
BuzzFeed Japanもこの動きを後押しするため、「#metoo」に関連した記事を発信し続けている。その中で、「私も証言したい」と連絡をしてくる人もいる。
作家・ブロガーとして有名なはあちゅうさん(本名:伊藤春香)も、その一人だ。
大学卒業後、2009年に入社した大手広告代理店「電通」でセクハラやパワハラを受けたという。BuzzFeed Japanは、はあちゅうさんの証言を受け、複数の電通社員に話を聞き、はあちゅうさんが「加害者」と証言した男性にも取材をした。
はあちゅうのセクハラ告発と#metoo運動について何かを語れるかと考えたが、はてなブログで言及している人を見回してみるとガチ目のメンバーが喧嘩腰になっているので剣呑だな。僕はジェンダー論壇で正面切って議論できる程、メンタルが強いわけじゃないしなぁ。論争の流れだけは追っているので話題の共有でリンクを張る程度に留めておこう。
色々と論じたいけど歯切れが悪いだろうな。僕はネトヲチャ側の人間なので、はあちゅうという時点で目が曇る。はあちゅうは元々、炎上マーケティングで名を上げてきた人物なので扱いに困るのだ。
誰だろうがどんな立場だろうがセクハラは論外である。これは絶対的にそうだ。議論の進め方にしても、被害者の欠点を殊更に取り上げて告発を無効化しようとする卑怯なやり方には反対したい。ネットでの論争ではこういう方法で相手を沈黙させようとするノイジーマイノリティが多い。つい先日のヘリからの落下物があった沖縄の事件でも、同様に被害者を糾弾して事件を矮小化しようとするネットの動きがあった。
どうも、ネットで事件の裏側を探ってSNSで人とは違った視点を演出したい人などが、ひねくれたことを言おうとするようだが、この言葉が被害者まで届くことを想像できないらしい。というか、直接、暴言をリプライで投げつける奴までいるらしいからな。ネットという双方向メディアが進化してしまった副作用だろうな。
いい加減、2chから続いてきた議論方法を新しい方法に切り替えなきゃならんのだろうな。声の数が多くて、派手なことを言ったほうが勝ちみたいな風潮は今も続いている。ネットで誰とでも議論できるような世界にはなったけど、建設的で人類の民度のレベルを引き上げるようなシステムではない。ネットワークを駆け巡る膨大な言葉に一体、真実が宿ることはあるんだろうか? こりゃ人類が滅びる時じゃないと分からんかもな。ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ。
さて、今日の本題はどうしますかね。よし、リライトにしよう。
以前こういうエントリーを書いたんだけど、その自己言及でもしておきますかね。
「ゲス」とか「社畜」とかの強い意味を持つ言葉は目を引く。プロブロガー人種なんかのブログ講座では、こう言う強い言葉をタイトルなどに持ってきてインパクトをつけろと教えるが、やめといた方が良い。
初見の読者なんかにはインパクトがあるんだけど、二度三度と読み返してみると強い言葉は不愉快になってくる。それと、人間は刺激に慣れてくるともっと強い刺激じゃないと感じなくなるという性質がある。オオカミ少年じゃないけど、不必要な煽り文を何度も使ってると、そのうち誰も相手にしなくなってくるんだ。やたら強い言葉ばっかり使ってるブログはアジテーションのチラシみたいになる。そういうブログは初見ですら避ける。
僕が言うのもなんだけど、特に必然性もないのに強い表現は使わないほうが良い。最近、特にその重要性を感じるようになってきた。後先考えずに暴言を言いっぱなしにしたエントリーは後から読んでみると酷くて書き直したくなる。言葉に含まれる強い毒で自家中毒を起こすのだ。
思いついたことを書き捨てる印象の雑記ブログだけど、長年の積み重ねで書いた人のその人となりが分かる。それが人を惹きつけるか嫌悪させるかは、細かな言い回しが左右するのだろうな。ブログは想像以上に書いた人の性格がモロで分かるからやべーぞ。他人を見下している奴は綺麗な文章で書いていてもムカつくし、根が真面目な人はちゃらんぽらんな事を書いていてもきちんとした性格が分かる。
強い言葉を使うんだったら、その後のフォローもセットで入れておかないと駄目なんだなってのが最近の知見だ。強い言葉で始めたエントリーだとしても、オチでは自虐的なネタに収束させるとか、ちょっとした笑いに結びつけておいたほうが後腐れがない。
こういうのは内心を描写する文章を本気で追求する道としては「逃げ」なんだろうなーとは分かっているんだけど、読者を意識した時にそういう思いやりがないと長年ブログを続けるのは無理だろう。本当に内心を全部書いちゃうブロガーも居るんだけど、僕にはそれはちょっと無理だな。