超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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正月休み終了に対するルーチンな日常生活の心境

正月休み終了に対するルーチンな日常生活の心境


さて、正月の三が日が終わり明日から仕事の1月3日である。今日は朝から長距離ドライブに出て、外食をして、帰りにスタバに寄ってこのブログを書いている。


正月休みが終わることについてはめんどくささは感じるけど、辛さを感じるほどではない。僕はどっちかというとルーチンな日常生活の方が楽なタイプの人種であり、こういうイレギュラーなことばかりがあるハレの日というのはそこまで好きではない。


正月3が日はスーパーなどでご馳走を買ったりとか外食して過ごしてきたけど、明日からは再び平日モードの生活に戻す。あまり生活が緩みすぎると生活を元に戻すのが辛いので、これぐらいの休みが一番良いのかもしれない。


今日は名護へドライブに行ってきた。午前中は晴れていたが、午後になって急に曇り始めたので帰ってきた。できれば国頭の比地大滝まで行って森林浴がてら滝でも見てこようと思ったけど、それはまたの機会になりそうだ。


許田の道の駅あたりまでは晴れていたので、なかなか今日も海が綺麗だった。


こういう一人で遠距離ドライブをしながらポッドキャストやオーディオブックを聞いているというのはなかなかにストレス解消になる。今回は南直哉氏の「「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本」のオーディオブックを聴きながら運転してたけど、色々と人生について考えることがあった。


どうにも僕は普段の生活をしていて感じるのだが、この年齢なのにいまだにめんどくさい承認欲求を抱えており、いろんなところで劣等感を感じたりとか嫉妬心を感じたりして気持ちが落ち着かないのを苦痛に感じてる。


どうも、僕の性格というのは本質的に人嫌いであり、必要がなければ一日中誰とも話さなくても痛痒を感じないタイプである。人付き合いの必要のある場所では徹底的に人の話を聞くことに徹して、自分からは何も話さない感じの立ち振る舞いをする。


だからまぁ、友人とかも全然少ないのだけど、それで別に寂しいとは思わんのだが、人付き合いが少ないことを他人からいじられたりするのはものすごく嫌なのである。


なんか、世の中の風潮を見ていると、世の中で生きていくためには何か大きな夢や希望を持って、目標達成のために常に努力し続ける人が素晴らしい。コンプレックスやウィークポイントも、その問題解決のためにあらゆる知識や方法を活用して、人間的な完成を目指し続けるのが正常な社会人の生き方、みたいな世間の空気を勝手に感じてる。


僕の生き方としては、仕事の上とかでちゃんとやるべきことをやってその見返りに収入などを得ながら、適当にネットとかでブログを書いたりとか趣味のイラストや小説執筆をやれたら良いかなぐらいの目標で生きている。


なんか、こうやってブログを書いたりとか創作したりしてるけど、この行動で何かバズって多くの人に読まれたりとか、仕事でもバリバリやって成功者になったりとか、そういう社会的成功については正直どうでも良いのである。僕自身の目標としては、普段の生活の中であまりストレスを感じないでほどほどに仕事や趣味をやることができて、それで適度に歯応えがある感じの趣味の活動ができたら十全、というぐらいの考えでしか生きてない。


なんとなく思うのだが、世の中全ての人が成功に向けて頑張り続けて、大量生産大量消費で社会を繁栄のために全てのプレイヤーは努力し続けないとならないという風潮に関しては、僕はどこか不健全な思想のように感じていて欺瞞だと思ってる。


成功に向けて努力をして、最終的に目標達成することができる人は素晴らしいかもしれないけど、そういう人は全体の数%ぐらいである。世の中にいる大半の人たちというのは、最初は目標を持っていたかもしれないけど途中で諦めたり飽きたりして、なんとなくで人生の残された時間をやり過ごしてる人たちばかりだ。


本当に世の中の全ての人が成功に向けて、夢や希望を持って頑張り続けなければならないのだろうか? 昔っから僕はそういうキラキラした人やグループが嫌いで、文化祭やら体育祭などで「みんなで一丸となって優勝目指して頑張ろうぜ!」のノリになったら途端に虫酸が走るので、不良グループと一緒になって本番をバックれたりしてたのである。


今のこの年齢になっても、仕事とかで効率を高めたりする仕事術とか考え方などの知識は興味があるので色々と勉強したりするけど、「全社一丸で!」「アットホームな雰囲気で!」みたいなことを口走る人が現れ始めると、めんどくさくなって一人で逃げ出して孤立したりするのである。


世の中というのは個人主義というのが広まってきてるというけど、どうも僕みたいに他人と関わること全般に対してエネルギーを使うタイプの内向的なタイプにはまだまだ生きにくい世の中である。若い頃はそういうことに対して負い目を感じてた時期もあるけど、今では世の中の方がおかしいと感じてる。


こういうことを言語化してブログに書いたりすると、反発を感じた人から何か言われたりするかもしれないので、こういう考えについてはできるだけ表には出さないようにしてるのである。まぁ、でも思考の方の考え方では前向きな姿勢を持ってる方がストレスの感じ方がマイルドになるなと気が付くぐらいには年を取った。こういうのって、自分の考え方の方を洗脳しないとならんのだろうか? 「智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに、人の世は住みにくい」また漱石草枕でも読むか。

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