超メモ帳(Web式)@復活

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「それでも人生にイエスと言う」(フランクル著)を読んだ。

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はぁー、お疲れモードですなぁ。仕事の後にブログを書くのは、僕は純粋に雑文書き散らすのが大好きなタイプなので別に嫌いじゃない。それでも疲れるちゃ疲れるのである。


今日は何があったかなー。昨日の夜は親族の忘年会があったんだけど、極めてストレスフルで今日の朝起きるのが遅くなっちゃったよ。



んぁー、今思い出してもムカつく。そもそも沖縄はわりかし田舎故に神経が粗雑なマイルドヤンキーがカーストでも上位なのである。こいつは奥さんを家に置いたまま彼女の家やラブホなどで遊び歩いているらしくて、来年あたり奥さんとは離婚するつもりらしい。財産渡すからいいだろみたいな事を言っているのであるのだが、飲みの場で極めてクソな話で僕の神経をささくれ立たせているのである。


こいつは誇大妄想が強くて、職場でも自分が管理職にクレームを入れているから回りから一目置かれているとか言ってたりとか現実が見えてないフシがある。そもそも不倫やってる段階で他人だったら口も聞きたくないのだが、親族であるゆえに付き合わないといけないのだ。


まー、僕も長女の長男ではあるんで親族関係とかはフォローしていないといけなかったりするのであるが、そこまで親族全員が仲いいって訳でもなくて、正月にお年玉をたかりに来る自分の利益に都合の良いときだけ長男ヅラする子沢山のいとこなどもいて相当にストレスフルなのである。前述したように沖縄ではマイルドヤンキーがカースト上位なのである。僕はいっちゃなんだが真面目で大人しいタイプではありますからね。オジーの介護とか面倒くさい仕事だけ押し付けられる役回りなんですよ。


もう、僕もそこそこ働き盛りの歳で一つ上の世代は引退の時期ですからね。世代交換の時期にはなってるんですよ。なんってか、まともないとこが次男の長男のお兄さんぐらいしかいなくて、もう僕ら二人で一族を支えていこうみたいな話になってるんですよ。いやー、長男が極めてアホなので次男が仏壇継いでるんですけど、長男の長男は「プライドがあるから働かない」とか言っていい年こいてるのに嫁さんに食わせてもらってるヤンキー崩れのヒモなのである。しかもこいつは子沢山でオジーに家まで建てさせているのだ。


上記の不倫しているやつは別のいとこなんだけど、長男の長男も一族の財産食いつぶす気まんまんだぞ。こういうアホなヤンキーばっかの飲み会に参加させられて、僕が一番年下だから酒ついで回ったりとかお世辞を言ったりとかしているのである。もうね、アホかと。ぼかぁ、次男おじさんには悪いけど直接の責任はないから逃げるぞ。


はぁ、昨日は不愉快な一日だった。今日の本題は本を読んだから読書メモを記録しておこう。今回読んだのはフランクルの「それでも人生にイエスと言う」。


それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う


なんというか恥ずかしながら言わせてもらうと、難しすぎて意味がよくわかんない。後半の半分ぐらいは翻訳者の解説なんだけど、実存哲学を引用してきたりとかして難解なのよ。


なんとなく理解できた範囲ではフランクルは「意味への意志」を無意識の根源にしている心理学を説いている人だったのよ。フロイトは「欲求」を無意識の根源にしている。アドラーは「権力への意志」を無意識の根源にしている。フランクルはその両者とは違って、人間は人生に意味を求める。


この著書ではフランクルナチスドイツの収容所に居た経験で、人生のすべてを奪いつくされた後でも人間には生きる目的を見つける事が出来ることを説いている。人間は死の淵でも、絶望のどん底でも、息を引き取る瞬間まで人生に意味をもたせられる瞬間がある。例えばオーケストラの最も自分の好きな鳥肌の立つような瞬間に、人生に生きている価値があるかどうか聞かれたら肯定的な意見を述べるだろう。


このフランクルの思想は実存哲学だったんだけど、実存哲学では「いま、その瞬間」に注目する。この生の実感を感じるには苦痛や死がなければならないと考えているようだ。


例えば実存哲学ではニーチェが居るんだけど、ニーチェは絶望的な永遠の時間が繰り返し続ける永劫回帰の中で超人は一瞬のときを切り取って、「これが人生か、ならばもう一度」すべてを肯定してしまうという。実存哲学というのは今、その時に生きている事を受け入れて、全世界の中にある確固たる自分を肯定してしまうのだ。


なんというか、僕のこの文章は読書メモ程度なので、全然フランクルの言いたいことを書き表せてない。ただ、この本は人生の意味を問い直したいという人に向いていると思う。フランクルの場合はナチスドイツの収容所という絶望的な空間の中で、すべてを奪いつくされた中に残った自分を見つめることで人生の意味にたどり着いた。現代のように個人というのが矮小化されて無意味化している社会の中でも人生を問い直すことは必要だろう。この著書は人生を考えたい人にオススメである。


それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う


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