超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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人生に目標を持つのは楽しく生きるためである。

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人生に目標を持つのは楽しく生きるためである。


なんか、僕は最近ぼやぼやと生きてる気がして、なんか、いかんのではないじゃないか?みたいな気がした。男として生きるのならばもっと熱い夢やら目標やらをもたんかい!と心の中の松岡修造が告げたような気がしたのだ。いや、僕は案外、修三を尊敬しているんですよね。日めくり修三みたいなカレンダーも持ってるしな。


今の夢ってなんだろうね? 生活の中で「ブログ執筆」「仕事」「小説執筆」「筋トレ」を頑張ろうだとか、そういう習慣づけに関する小目標みたいなものはあったりするのだけど、人生の目標をちゃんと打ち立てて、それに向かって邁進する生き方というのは美しい生き方の様に見える。


まぁ、結論から先に言ってしまうと、別にそういう夢とか目標がなくても生きることができるのである。というか、そういう夢や目標を特定しすぎると、その目標を達成したとたん後は余生になってしまうよね。なんで、小目標を管理しながらその時々のやりたい事をやっていく生き方が人生では普通じゃないか?と思うんですけどね。一つの大きな目標に向かって生きる人生は他の人から見ると素晴らしい様に見えるかもしれないけど、やり遂げた後の人生を考えてないと思うのだ。というか、人間のペルソナって一つだけではないし、やりたい事が沢山あることが普通じゃないか?と思う。


しかしながら、大きな方向性を持たずに日々に埋没して酔生夢死に生きる夢や目標のない生き方が正しいのかー?と問われるとそれは違うと思うんだけどね。目先の欲望に囚われて毎日、ギャンブルやらアルコールやら快楽を与える行動に逃げて、生きる苦しみから逃げてしまうのが賢いのか?と問われると、そういう生き方は自分に向きあわずに行動に逃げているだけであろう。快楽を追及する事だけが正しいみたいな考えに至ると、人生に意味なんてないみたいなニヒリズムに陥って生きるのが苦しくなってしまうのですよ。夢や目標を持つ効果というのは、自分の人生を生きやすくする方法だったりする。


こういうのを考えて論じているのが、ストア哲学だったりニーチェの実存哲学だったりアドラー心理学だったりするんですけどね。人間はどう生きるべきか?みたいな事は、昔からいろんな哲学者が考えてきたことであり、哲学の一大テーマであるのよね。僕はこういうのを扱ったので使える考え方は、アリストテレスエネルゲイア的な生き方だと思ってる。


note.com

キーネーシス
→始点と終点があるような運動で移動や達成が目的であるもの。出来るだけ効率的に速やかに成し遂げられるのが好ましい。

エネルゲイア
→今なしつつあるものが、そのまま価値や意味を持つ運動のこと。プロセス自体に意味がある。
これだけではまだぼんやりとしてしまうかもしれません。

例えば、少年Mが英語のテストで100点満点中50点だとします。
彼が80点を目標に一生懸命頑張る生き方。
これがキーネーシス的生き方です。

一見、素晴らしいように見えますが、このエネルゲイア的生き方には欠陥があります。
それは、80点を達成しなかった場合、この生き方は全否定されることになります。
目的、目標を達成することに意味・意義があるのであり、それを達成しないことは全く意味はありません。

エネルゲイア的生き方とは、まさにこれの逆です。
もし目標を達成しなかったとしても、一生懸命頑張ったそのプロセスに意味があるという考え方です。


死後の世界に何があるのかは死んでみないと誰も分からないのであるが、死後の世界から戻ってきた人はイエス・キリストみたいな神話やら聖書やらの伝承の人物だけであるし、それこそ凡人の知りえぬ世界なので無いものとして扱うのが普通であろう。それとも果たしてニーチェが言う永劫回帰みたいな世界が本当にあるとしたならば、「これが人生か、ならばもう一度」と自分の生を肯定できる瞬間があったのならば、どれだけ苦しい人生であろうともその一瞬で全て裏返り肯定されるのである。


エネルゲイアの考え方は芸術にも言える考え方ではないか? 一応、僕はイラストを描いたり小説を書いたりするのですけど、かならずしも素晴らしい作品を作る訳ではないんですよ。内容は凡庸であるし、数多くの人から評価されたこともない。だけど、その作品を作っている時間というのは頭の中で動いてる物語や像だったりを追っていて楽しい瞬間なのであるんです。芸術の本質というのは作品ではなくて、こういう作品を作ってるときの心の動き、自分の理想に従って現実に自分の理想に近い作品を生み出そうとしている自分の存在ではないかと思う。


「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」という風な中島敦の言葉の言葉もある。だけども、僕は何かをなそうと必死に努力した瞬間があれば、その瞬間によりすべてが報われるという考え方なんですね。そのためには自分の中の理想をはっきりと認識している必要はあるんだと思います。

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