超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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なるべくやんわりと今後の転職活動とかもやっていきたいね。

なるべくやんわりと今後の転職活動とかもやっていきたいね。


どーしよっかなーと思う。神経が完璧に焼け付いちゃった状態で非常に体調が悪い。しかも今日は夜から飲み会である。ここが地獄かーという感じであるが、ブログについては書いておく。


なんじゃろね。ひととおりブログでも自己憐憫の儀式は終わらせたのでこれ以上会社でのことについていうことはない。ひとまず現実的な対応としては、カウンセラーと主治医に相談して今の会社については辞意を出して今後の対応を考えようと思う。


今現在は、怒り過ぎて神経が焼けついた状態になっており非常に調子が悪い。僕のいつものパターンなのだけど、何か激しく感情を揺さぶられる状態が発生すると、しばらくは神経がヒリヒリした状態になってしまいまともに思考することができなくなる。この状態の時にまた感情を消耗するようなイベントがあると、さらに死体蹴りでダメージが追加されるのでしばらくはもう何もしない。


まぁ、会社を辞めたり転職したりみたいなことは世の中では数多あるイベントであるし、他の人もそれほど興味はないでしょう。僕自身、会社で誰かが辞めたとかそういうことがあっても親しい人じゃなければすぐ忘れてしまうし、僕が今の仕事を辞めると言っても他の人にとってはそういうこともあるかーぐらいの感想であろう。


会社を辞めたりみたいなイベントは本人にとっては大変なイベントであるけど、会社の方では良くあるシステム変更の手続きの1つだもんな。僕はあれやこれやと他人の心情を想像するのではなく、自分自身の人生やこころを守るためにそれを最優先に考えて行動すべきであるね。


もうこれ以上、感情を使うのが嫌だからしばらくは本当、神経をリラックスさせるために無理なことはしないことだけを最優先して生活を送ろうと思う。貯金とかはいくらかはあるし、失業手当も入ってくるだろうし仕事を辞めてもしばらくはやばくなることはないだろうと思う。どうにも自分の人生というのはこんなのばっかりだなと自己憐憫をしてしまいそうになるけど、まぁ自分の手でなんとかしないとほんと自己憐憫ばっかりで何も物事が良くならないからなぁ。現実的に現在の問題解決のためにどんな方法があるのか、Scrapboxやブログで文章を書きながら考えていくようにしてまいろう。


まぁ、なんだろ、生きてるといろんなことがあるよね。仏教のお坊さんが人生の出来事の中で自分の意思でコントロールできることは些事だけという風なことを言ってたけど、それは事実であるなと思う。


人生において決断を迫られる場面というのは-50と-100の中からどっちか選べというダメージコントロールというパターンがほとんどであると思う。好きな人からプロポーズを受けて結婚するかを決めるとか、転職を迷ってるときに良い企業からスカウトが来てそれを受けるかという時は迷わずにその選択に飛び込むであろう。


なんか、今の状態みたいに嫌いな上司から散々いびられ続けて勤め続けるか、それとも長年勤めてた仕事を辞めて転職活動をするのかというのは、どっちの方が自分にとって嫌じゃないかのダメージコントロールだよね。この選択の中からどちらが自分にとってマシなのかというのを熟慮した上で、どっちを選んでも地獄だと認識しつつ選択するようなものである。


でもまぁ、いい機会じゃないかな。今の職場では現在進行形でこのストレッサーの上司にいびられながらストレスを溜めつつ生活してるし、この調子で行くといつかまた病気を再発させるなーと思ってたよ。こういう自分の決断を促すタイミングが訪れたことはある種の幸運であろう。病気を再発させて再入院するとかそういう状態に陥らずに次のステージへ進めそうなのは、まだ比較的マシなタイミングであろうと思う。


自分は自分の人生を良くする責任があるし、腐って放り出すと急転直下で地獄落ちという綱渡りをずっと続けてるであるしね。いつかのブログでも書いたことであるけど、人生ってのは基本的に苦しいけど前向きに生き続けなければならないクソゲーみたいなもんである。前向きに生きるのをやめると生きる価値すら無くなる。


今から僕が気をつけることとしては、自分が不愉快だからと事態を荒立てたりとか誰かをことさらに非難して追い詰めるようなことをしないことだ。そういう、自分のエゴで周りを振り回すタイプは自分が一番嫌いなやつだ。僕はあくまで大人の人間としてやるべきことをやってスムーズに物事を進めるように気をつけるだけである。仕事を辞めるときも転職活動もやんわりと軟着陸をさせるようにできたらいいな。


実際、今の会社には、統合失調症で完璧に無職になって福祉施設で飼い殺しになりそうになってたところを拾われた恩義はあるからね。きちんと感謝の気持ちは持っているであるし、それぞれの立場が今までの立ち位置からは変わってしまったということであろう。僕は人を恨むのが嫌いであるし、どうせならスッキリとした気分で人生を生きていきたい。

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