超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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色々な言葉や概念で見え方を捉え直すのが必要だね。

色々な言葉や概念で見え方を捉え直すのが必要だね。


いちいち毎回毎回愚痴ばっかり言ってもなーみたいな。や、書くんだけどさ。どうもこのブログは僕のプライベートとパブリックが混ざり合った場所であるし、あんま胸のつかえを吐き出しもせずに抱えっぱなしというのも具合が良くない。


またしても仕事を辞めたい症候群が発生してるのだよね。まー、事実として会社での扱いが微妙であることとか人間関係のトラブルとか色々あるんだけどさ、これですぐさま退職届叩きつけて会社を飛び出すのもだいぶ問題がある。


僕は障がい者雇用で働いてる人間であるし、今の会社はなんとか5年ほど勤めて正社員になれたのよ。普通の健常者であれば別に会社を選ばなければ正社員とかはすぐなれるかもしれないけどさ、障がい者の場合はほとんどが非正規の派遣とかばっかりで、正規雇用にたどり着けるというのは運も良くないと難しいという風な立場なのよ。


別に正社員だからといって、周りの労働環境が良くなくてメンタルの調子を崩しそうな職場であれば転職してしまった方が良いと思うのだけど、一応、今の職場では障がい者雇用ということで合理的配慮などをお願いしているのである。以前、このストレスの原因の同僚に詰められて潰れかけた時に、ハローワークからジョブコーチを呼んでもらってどのような働き方であれば大丈夫であるかとか話し合った。それで状況が改善されたか?と問われると、一応、この同僚からは怒られることは激減した。相変わらず微妙な人間関係でもあるが、僕も相手も大人であるしそこんところはお互い様であろう。


それでも職場環境が悪ければ転職活動をしていい条件の会社に移ろうという風な考え方もあるかと思うけど、どうも、僕はプライベートでの家族の状況なども微妙であり、すぐさま仕事を辞めてしまうと経済的に致命的な状況に陥る可能性というのもそこそこ高い。僕は今んところ母親と二人暮らしなのだけど、母親は脳出血で半身麻痺であり、いろんな介護サービスを使いながらかろうじて自立して生活できるというぐらいの健康状況なのよ。


今、僕が働いて稼ぎながら生活はできてるけど、生活の状況は危険領域ギリギリのところを低空飛行してる感じで、焦って仕事を辞めて飛び出してしまうと、すぐさま貯金が尽きてしまって仕事も見つからずに生活保護に転落、という風なシナリオもありうるのである。僕も今の仕事を見つけるために散々苦労しながら就職活動してきたけど、障がい者雇用の仕事というのは数も少ないしちょうど良い条件の仕事というのもないし、今の仕事が嫌だからと言って「はいそうですか」で辞めるわけにもいかんのである。少なくとも、今の仕事を辞めるのであれば次の働き口の内定を獲得した上で動くべきであろう。いい加減、僕も40代で気軽にホイホイジョブホッパーなんてできない年齢ではあるし、慎重すぎるぐらいに慎重に身の振り方を考えねばならぬ。


やっぱ自分の中の考え方などをコントロールして、ストレスケアを徹底的にやりつつ状況が好転するのを待つしかないのであろう。最近、ブログでも仏教やらストレスケアやらの方法をやたらと書きまくってるかもしれないけど、これは僕自身が日頃の生活の中でどんな風に考えれば良いのかと試行錯誤をしている結果であるのよ。今は、「ストア派哲学入門」という本を読んでいるけど、この本の中にも随分と良い言葉がある。


「今日、私は煩悶から抜け出した。放り出した、と言った方が良いかもしれない。煩悶は私の外から来たのではなく、私自身の中に存在していたのだから」
マルクス・アウレリウス「自省録」

つらい日が続くと、私たちはつい「仕事にへとへと」とか「上司には本当にうんざり」とか言ってしまう。そんなことはあり得ないと気づけば良いのだが。誰かが君をうんざりさせることはできないし、仕事が君をへとへとにすることもできない。これらはどれも外的なものであり、君の心の中に立ち入ることはできない。君が感じている気持ちは、本当は外部からではなく、君の内側から出てきたものなのだ。

ストア派には「ヒュポレープシス」という言葉がある。私たちの心がなんらかの見方、考え、判断を「取り上げる」ということだ。どんな思いを心に浮かべるかは自分次第である。ストレスを感じたり不満を抱いたりしても、そのことで他の人を責めることはできない。それでは嫉妬心から他人を責めるのと変わらない。原因はいつも自分の中にある。他人に責任を押し付けてはならない。


これはすごくいい言葉だなと思った。ストア派の考え方というのは、自分を律することで状況や環境を変えていく考え方を教えてくれるけど、この思想は僕の考え方と非常に相性が良い。どんな困難であっても、その原因というのは自分の中にあるし、その原因に気がついて改善することができるのも自分の意思次第であるのだ。


とりあえずまぁ、僕が他の人と比べてアドバンスを持ってる能力というのは、こんな風に哲学やら仏教やらいろんな文系の思想から自分に必要な言葉を集めることができる事ではないかと思う。他の人は言葉を知っただけでは別に納得することはできないかもしれないけど、僕は本当に必要だと思う言葉を見つけると自分を鼓舞することができるんである。自分にとって良い言葉、良い概念を色々と理論武装することも僕の生き方では必要な戦略だ。自分の中の辛いという気持ちがあっても、それを方向を変えて捉え直すことで自分の糧にすることもできるのだし。

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