超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。

強くなければ生きていけない。優しくなければ生きてる資格がない。


今日はダラダラする日曜日であるな。あまり生産的なことはそんなにしてないなという感じ。


ひとまず今日やったこととしては、朝に早起きをしてコメダでモーニングをしながらカラーひよこさんところのブログに寄稿するための文章を下書きした感じであり、それから午後は自宅でブログなどを眺めつつダラダラしてる。晩飯は適当に近所のラーメン屋で食べてこようかなと思ってる。


昨日の晩は不思議とぐっすりと熟睡できた。このところ睡眠が足りてない気がしてたのだけど、今日はしっかりと寝ることができて思考がしっかりしてる。普段の平日が睡眠が足りない感じであるからな。もうちょっと普段から睡眠時間を伸ばすと体調がもっと良くなるかもしれないけど、これ以上生活の中でやることの時間を減らすと何のために生きてるのか分からなくなってしまう。


さて、何を書こう。このブログを書いてるのは午後4時。5時までにはブログを書き上げて、外出して車のガソリンを入れて、そのまま近所のラーメン屋に行ってしまいたい所である。僕は脂っこいからラーメンってそんなに好きじゃないのだけど、ごく稀にある外食デーの時にはいつものラーメン屋でいつもの豚骨ラーメンを食べる。


ちょっとここ数日は空白のような日々が続いている。休日はほとんど自分や母親の病院に通ってる感じであるし、個人的な趣味のことが全くやれる時間がない。まとまった時間を取れる日があんまりない感じであり、今日は体を休めるためにいつもの何もしない「純度100%の休日」をやっている。


やりたいことはそこそこ沢山ある。開発関係でももうちょっとブログカスタマイズで手を加えたいことが沢山ある。このブログのブログパーツjQueryで自作したやつなのだけど、それをVue.jsで置き換えるのも完結してない。また、ブログで書いてある文章を感情分析するAIモデルに読み込ませて、ブログの冒頭あたりに今日のブログが楽しい記事なのか悲しい記事なのか分かるようにするブログパーツも作っておきたいなと思うのである。


どうも僕のブログというのは冒頭のあたりで病んだ話をしてることが多い。これは僕がブログを書くときはいつもぶっつけ本番のフリーライティングで毎日書いてるためであるけど、病んだ記事が嫌いな人はそこそこ嫌な思いをしてるのだろう。じゃー、ブログの書き方を改めるのかー? と問われると、このブログは僕の日記も兼ねているのである。あとから自分で読み返してみてその日に何を考えていたのか思い出せるようにしておかないと存在意義がない。だからまぁ、そこんところはAIを使ったシステムで工夫してみようかと思ったのである。


ネガティブな記事については扱いに悩むところである。僕自身の執筆の方針としては、ネガティブなことを書いても自己憐憫だけで終わらせない、ということに気をつけている。自分は可哀想だから慰めてほしいぐらいの浅い思考の掘り下げで終わってしまうような記事であれば、そんなものは周りから呆れられるだけだから表に公開しない方がマシである。人を楽しませたり、考えさせる芸になってない文章をブログやニュースレターに晒しても意味がない。


無論これはまぁ、僕の中での執筆に対する方針であり、それを他人に強要して「かくあるべき論」みたいな押し付けがましいことはしない。僕はわりかし自助努力を頑張ったりする「昭和の根性論」が好きだけど、それを他人に強要するようなパワハラ上司やブラック企業については早急に死滅した方がいいと思ってる。


僕は自分の中で限界の時に「もっと頑張ろう」とか「まだまだやれる!」という自分を鼓舞するためのマントラを唱えて、自分が限界の時でもあと一歩は踏み込もうというような頑張り方をする。こうやって普段から限界の時の精神力を鍛えておくと、いざという時の粘りが違う。ギリギリの極限状態でも「まだ自分はもうちょっとやれる」ということを知っているのなら、心が折れにくくなりパフォーマンスが上がる。


でも、他の人が頑張っているのに不幸続きで落ち込んでる時に、「もっと頑張ろう!」とか「努力が足りない!」と言うタイプは人の痛みを知らない人なのだと思う。人生の中では、心が折れてしまい自分では踏ん張れなくなってしまってる状況というのもありうるし、そういう時は問題からちょっと距離を置いて俯瞰してものを見れるように、まずは話を聞いて気持ちを落ち着かせるのを優先するべきだろう。


レイモンド・チャンドラーの「プレイバック」の中で「強くなければ生きていけない。優しくなれば生きていく資格がない」と言うセリフがあるけど、僕が人生の中で目標としてるのはそんな風なダンディズムであるとか、礼節をわきまえた紳士でありたいと言う気持ちが強い。タフに生きようと思うのならば、自分に対しては強く当たり、どんな困難が起きても折れない心を持つべきだが、同時に他人の痛みを知り寛恕の心を持つのも重要だと思う。

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