超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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「書くために書く」人種というのはどのようなものか?

「書くために書く」人種というのはどのようなものか?


うーむ、天候もおかしいし、体の調子も今ひとつ。今週末も雨模様になるようであり、困ったことに育ててる盆栽の黒松の植え替えができない。今週は車も汚れてるから洗車をしようと思ったのに、嫌な雨である。


しかも、土曜日はまた病院ふたつはしごの上にニュースレターの投稿もあり、休みじゃない休みである。ほんと、スケジュール管理は真面目に考えんとならんな。最近は休日は歯医者とか耳鼻科とか毎週病院通いばかりで、腰を据えて休む休日がほとんどない。ゴールデンウィークはマジで何もせずに休む休日にしてしまおうと思うところである。


そして、書くことは何もない。ほんとまぁ、僕のブログの重大な問題点であると思うのだが、書くことについて書きすぎており、メタな言及ばかりをして中身がすっからかんというダメなポストモダン思想のような状況に陥っておるよなーと思う。


これはまぁ、働きながらブログを書いてる場合の宿痾のようなところもあるかなと思う。フルタイムで働いているのなら、普段の生活は同じようなワンパターンになりがちであり、そんな中で日記を書こうとすると毎日同じようなことばかりを書くことになる。そこんところでバリエーションを出そうと思うなら、どうしても自分の内省について書くことになり、そうすると話題はメタなことばかりになり、そのために同じことの繰り返しになるというループである。


ブログについては長年書いてきたが、まぁ、書こうと思えば書けるもんであるよ。今日、ネットをフラフラしてると次の記事を見つけた。


studyhacker.net


僕のマインドフルネス瞑想の師匠にしている吉田昌生さんが、「書く瞑想」であるジャーナリングについて色々と述べてる記事である。


吉田さんについては、僕は書籍の「マインドフルネス瞑想入門」という本が良かったので、そちらの方を参考にしながらマインドフルネス瞑想について覚えた。



この本で吉田さんは「なかなかいいことを言ってるな」と思って、Youtubeの動画を追ったりとかLINE登録などをしてみたのだけど、まぁそれなりに商売っ気があるようなコミュニティ活動をしているようである。別に僕は高額なセミナーなんぞには興味はないからその辺りは触れなくていいかなと思うのだけど、書籍の方は買い切りでちゃんと基礎から瞑想のやり方を学べるので、初心者はそちらを買って毎日5分からでも音声教材で瞑想を習慣化するのがよろしいだろう。


で、「書く瞑想」であるけど「ジャーナリング」というやり方でそれなりに体系づけられたやり方が存在してるようである。僕はこれについては意図的にやったことはないけど、常日頃の生活の中でいつもScrapboxのメモ帳を開いたままにして、何か思いついたことがあればそちらでゴリゴリと考えてることをページに整理して書いたりなどしてるので、そっちは僕にとってのジャーナリング的なものであるかもしれない。


どうも僕の変な癖であるのだけど、昔から気がつくと長文のメモを書きながら思考を整理する癖があるようであり、何か頭の中でモヤモヤしたことがあればメモ帳を開いてキーボードを打ちまくる。僕がこうやってブログを書き続けてるのもその延長線上の行為であるのだけど、実のところブログ以外でも大量の日記やメモなどを書いており、それらはローカルのScrapboxスマホのジャーナルアプリの中などに死蔵させている。


ブログ界隈でもたまに見かけるのだけど、どうやら世の中には理由はなくとも「書くために書く」というタイプの人種がいるようであり、それが読まれなかろうがなんの利益にならなかろうが、つらつらと長文を書いてしまう人種がいるらしいのである。僕もそっちのタイプの人間かな? と思ったりもするのだが、僕は全くレスポンスが無い状態であればブログは続いてなかったと思う。スターやコメントなどの読んでくれるありがたい読者がいるから、ブログは続けようというモチベーションを持っている。


どうも「書くために書く」という人種がどのような理由により存在してるのか想像してみるのだけど、世の中には、話し言葉よりも書き言葉の方が得意な人間というのが結構一定数いるんだと思う。僕もそうなのであるが、こうやって書き言葉では色々と饒舌に話すことができるけど、話し言葉では全く何も喋ることができない。ブログでいつも書いてる文章も、ほとんど頭から尻尾までノンストップライティングでダラダラと書き綴ることで生成してる文章なのだけど、こちらについては自然な感じで話題を展開させて、それなりに論旨を含めて結論までエッセイチックにまとめることができる。


話し言葉ではこういうのが全くダメなのである。僕はブログでこうやって書いてることは、ほぼジャーナリングというか、第三者が読む文章であるからあんまりプライベートすぎることは書かないように気をつけたりとか、身バレをしないように固有名詞を出さないように気を付けるということをやってるけど、基本的に頭の中で思いついた言葉を垂れ流してるだけなのである。僕にとってはこのブログで書いてる文章は、ダラダラと雑談でもしてるような感覚である。


結局、僕がこのブログでやってることというのはジャーナリングなのかもしれない。こちらのブログに投稿された文章を全部AIに学習させてみて性格を分析させてみると、無意識から過去のトラウマまで全部掘り起こして全人格が素っ裸という恐ろしい想像もする。まー、ブログを継続的にやろうという人は、多かれ少なかれ僕とおんなじような特徴は持ってると思う。

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