10年目の3・11について思う事。
10年目である。
Yahooがこのような特設ページを作っておった。東日本大震災から10年目である。10年の時間が経っても変わらないという人も居るが、10年は一応大きな節目ではあろう。
どうなんだろう? 実際に現場で災害に遭われた方はいまだに家が無かったりとかでまだまだ戦い続けている。それはとても長い闘いになっている。人間というのは大自然の猛威に対しては非常に無力だ。
遠く離れた沖縄からでは現場のリアリティというのは全く推し量る事はできないのだけど、東日本大震災は忘れてはならないなと思う。社会の脆弱性。たった一度の地震があっただけで、2万人の人が死に、街が使い物にならなくなる。これは人間がどれだけ自然に抗おうとしても、自然の気まぐれ一つで滅びかねないという大きな教訓であった。
さまざまな情報が駆け巡り、津波の動画とかそういう画像も自宅にいながらにして見る事ができた。ネットが発達した情報社会では、距離を超えて遠くの人ともつながる事が出来るようになっており、僕にも東北にネットの知り合いがいた。実際に3・11の時は何か大きな地震があったのか?ぐらいにしか思わなかったのだけど、震災発生後にどんどん報道で告げる被害が大きくなっていき、津波の画像を見てしまい、これは大事だと気付かされた。
沖縄に居て、感じる事ができる3・11の様子というのは、TVのCMがどんどん自粛しはじめて「ぽぽぽぽーん」とかそういう公共広告機構のものに置き換わっていったというぐらいだ。自分自身が地震に関して経験している事といえば、2012ごろは東京にいたのだけど、計画停電で街並みが暗かったというような事だったりする。
人間はどれだけ進歩しても、地震一つも止める事ができないのだなと思った。最近でもまた仙台あたりで震度6の地震があったじゃないですか? 人間が科学で変える事ができる環境なんて本当に小さな範囲の事だけで、地面が揺れるだけで大事になってしまう。
むしろ、東日本大震災で感じたのは人間の科学の敗北、文化の敗北であったな。原子力炉がメルトダウンを起こし、土地に人が住めなくなった。それから後のヒステリックなデマ騒ぎの方が印象が強い。「セシウムさん」なんて事件もあったよね。マスコミが信用ならないとは知ってるけど、実際に嬉々としてデマを流そうとしている様子を見たら、今でも信頼できる情報源などないな。
現在、コロナウイルスのパンデミックにより、世界中が分断されている。人はそれでも生き続けるのである。NHKから聞こえてくるニュースでは未だに家が無くて苦しんでいる被災者の方たちがいるという。コロナ禍で泣きっ面に蜂でますます生きずらい状況になってるなぁ。
結局、僕が東日本大震災の被災地に関して何かできることなど、こうやって3・11になるたびに思い出して記事を書いたりだとか、ちょっと義援金を送る程度のものだったりするけども、一人ひとりが忘れずにこうやって語り継ぐことが災害から集団が身を守るためには必要な事なのであろう。
一応、3.11の時には振り返り記事を書いてるんですよ。
今現在では、コロナ禍で自分も結構つらい状況である事もあってか、震災への配慮は薄れがちになってるかな。これは社会全体でもありうる事なのかもしれない。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないけど、大きな災害というのは東日本大震災だけではなくて、他にも起こるもんだし、今回はコロナ禍がでっかいものであったな。
しかし、最近も仙台あたりで地震があったりとかで未だにあの辺りのプレートは未だ不安定なのであろう。地震への備えは欠かしてはならないものだと、忘れてはならない。
僕程度が記事を書いた所でどうなるだろう?とは思うけど、一人ひとりが語り継ぐことが災害への守りの力になるのである。人間というのは一人では脆弱な生き物かもしれないけど、集団で情報をやり取りして知識を共有していく事で現代のような大きな文化を作り上げることができた。
まとめ
「3.11を忘れない」。こう思う人たちが10年経とうがあと何年経とうが語り継ぐ事は、防災の知識を語り継いでいく事で、次に似たような災害があった時に生き残る人を増やす方法になるだろう。未だ災害のトラウマを抱えている人には悲しくてつらい時期かもしれないけど、また同じ轍を踏まないためにも思い出さないといけない事もある。僕も語り続ける事が出来る限りは、3.11には振り返りの記事を書いていよう。