超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ゆっくりと語り継がれるニュースもあると思う。

ゆっくりと語り継がれるニュースもあると思う。


さて、土曜日であるな。どうにも昨日は飲み会のせいで帰りが遅くなって、2時まで起きていたせいで微妙に調子が良くない。今日もブログを書いてぼちぼちと日々のルーチンを済ませてしまったら、今日はさっさと寝てしまうとしようか。


今日は3.11であるな。東日本大震災から12年目であるということだ。ひとまず、ネットを彷徨っていたらYahooのこういう企画を見つけたのでやっておいた。


www.search311.jp


ちなみに僕のルーチンの1つに、月に1000円程度はどこか自分が支援してあげたいと思う寄付先に募金するというのがある。せっかくなので今回は福島でベンチャーをやろうとしてるこちらの組織に寄付をした。


donation.yahoo.co.jp


まー、東日本大震災から12年も経ったということなので、支援のやり方なども色々と工夫するべきであろうなと思った。あの震災というのは日本にとってのトラウマの1つなので、あんま大きく騒ぎすぎても反感を持たれるっぽい。そうは言っても災害の記憶というのは語り継いでおかないといつまた同じような災害が起きるとは限らんもんな。恐怖感だとかそういうのが抜けない人にまで無理に参加させるものではないけども、社会全体の共通認識として災害の時はこうするべきだという風な情報は伝達しておかねばならぬかと思う。


こういうのは東日本大震災に限らず社会的な事件全般で言えることだろう。いろんな事件に対する社会の反応というのは、テレビだとかそういうメディアで報道された時は一時的に大きくみんな反応するけど、しばらくすると風化して何があったかのかも忘れ去られてしまう。


とくに最近だとSNSの存在というのが情報の伝達には大きな役割を果たしている。TwitterのようなSNSがあれば、世界中のどこかで事件があればものすごい勢いで情報が拡散されていき、すごい速さで情報が伝わっていく。だが、SNSでの情報伝達にも問題があって、情報が伝わるのもすごく早いのだけど情報が消費されて忘れられるのもすごい速さなのである。


どうも、社会全体の情報を消費するスピードというのは、昔と比べると現代は確実にすごい速さになっている。twitterで1カ月前にバズったネタなどというのはほとんど覚えている人がいない。現代人というのは毎日すごい量のニュースのシャワーを浴びて、その膨大な情報量を捌ききれずにアップアップしている。


しかし、こうやって大量の情報のニュースに晒されていると、1つ1つの情報に対する理解は浅くなる。ほとんどのニュースに対する共感だとか考えることというのは、大量のニュースに押し流されて考えることができなくなる。


一説によると、現代人が一日で処理する情報量というのは、平安時代の人の一生分、江戸時代の人の1年分だと言われている。デジタルツールの発達により、人間が情報処理できる情報量というのはそれだけ増えた。だが、人間の元々の能力がそれだけの情報量を処理できるようにはできてない。人間の脳が同時に処理できる情報量にも限界があるようであり、現代の情報社会で短時間のうちに浴びる情報の量というのは、明らかに人間のメモリをオーバーフローしてしまってる。


膨大になってしまった1日の情報量のうちで、本当に未来まで覚えていなければならない情報を精査する作業というのは絶対に必要だと思う。そういう情報を精査するプロセスは必ずしも個人がしなければならないことではなくて、毎日、社会に共有される情報の中でこれは必要だという事柄については、じっくりと考察して熟考できるようなメディアがあっても良いかと思うのだ。


ゆっくりと情報を熟考しなければならないニュースもあるという需要のもとで作られたwebメディアというのも存在していて、「スローニュース」という会社はそういうゆっくりと長期間の調査取材を行った上で熟考するための記事をnoteに書いてある。


note.com


東日本大震災で起きたことも、トレンドとしてその場その場で消費するべき情報ではなくて、じっくりと熟考して落ち着いた筆致で語り継がなければならないことであるかなと僕は思う。この世界の速さというのはますます加速していくのだけど、その中で本当に必要なことを考えることは忘れないようにしたいものだ。

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