超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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「うっせぇわ」を聞いた老害の感想。

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「うっせぇわ」を聞いた老害の感想。

暇だからブログを書く。


現在、母親の入院のためにPCR検査をしたのだけど、その検査結果待ちをしている。別にコロナじゃないです。糖尿の薬の調整の入院。


大層、無聊を持て余しており、時間を無駄にするのももったいないのでブログを書いておくことにする。


僕はやることがない時は、自由連想で文章を書いているという癖がある。今回も特に何かしら書きたい話はないので、適当に2000字を書き殴って本日のエントリーとさせていただきます。

意識高く盛り上がってるだけでは成果は得られんな


僕は、意識高い系が読むような自己啓発本を好んで読むような悪癖を持っているけど、自分自身が成功できるとはミジンコほども思っていない。


若い頃は、バリバリ仕事をやって成果を出してすごい奴になるんだー!的な野望もあったかと思うのだけど、30代も後半になると「心の欲する所に従えども矩を踰えず」の心境ですよ。


従心は70歳か。まぁ、野望を抱きつつも身の程を知る、と言いますか。自分は自分が思ってるほどすごい奴じゃないなーと分かったのは30歳になったぐらいの頃だったかと思う。


20代ぐらいの若くてぴちぴちのヤングメンの頃ならば、自分スゲーの自意識過剰を抱えているのは普通というか、それぐらいの情熱を持ってる方が成功すると思う。でも、30歳を超えて、ある程度会社とかでも中堅と呼ばれるような年齢になってきたら実績をベースにした考え方ができるようにならないと、後々苦しむ可能性があります。


話が変わるんですけど、「うっせえわ」って曲が流行ってるじゃないですか? あれを聞くとなんか共感性羞恥心がうずくんですよ。



www.youtube.com


なんというか、自分もこんな感じのことを考えていたからこそ歌詞の痛々しさがわかるという感じ。


この曲、流行っているのは今時の10代とか20代はこの心情がよく分かるのであろう。おそらく、会社でちゃんと勤めようとしているアラフォー以上の年代はこの曲は好きになれないと思うよ。


僕の「うっせえわ」の感想としては、20代の新卒ぐらいの時はこういう考え方はまぁありがちだし、そうやって社会に反発して特別であろうと頑張ること自体が没個性的だなと思う。実際の所、こういう時に感じた心境をばねにして上手く昇華できる才能があるやつじゃなければ、普通に人生を生きる事が苦痛になる一方になる。

年を食うと老害なことを言い始める。


なんかそうだよね。「うっせえわ」みたいなことを内心で思ってるだけではなくて、口に出して言うようなやつとかはただの痛い人で、殊更強調して言うことでもないと思う。


と、僕らのような氷河期世代以上にこういう反応されることを、この曲作ったAdoさんなどは想定しているのであろうし、うまい歌詞作るなぁと思う。


こういう隠している内心をえぐりぬく歌詞を引っ張り出せるのは創作者の才能だよね。言葉を使って表現をするならばこういう表現をしてみたい時もある。でも、こういう寸鉄人を刺すような表現というのはパクチーみたいなものであり、たまになら良いけどパクチーばっかりだと嫌になるよね。


どうなんざんしょ、人を不快にして本心を引き出すアグレッシブなコミュニケーションというのは、そのアクションから信用を引き出すのがよっぽどうまく立ち回れないと敵だらけになる。


まさしくパクチーだよね。有能な人は、アグレッシブなコミュニケーションもピンポイントで使うけど、その後のフォローアップで自信があるからこそやれる芸当だ。年がら年中そういう人を不快になることばかり言ってるやつは、組織から排除されるだけである。というか、単なる罵詈雑言程度で人の心に深く刺さるコミュニケーションなんぞできんし、相手の心情を理解した上でそれを逆撫でする覚悟がなければできない。人の心情を深く理解できる敏い人は、普段はわざわざそんな敵を作るリスクは取らんのです。

まとめ


世の中を上手く立ち回るコツだったり、幸せになる方法というのは、相当に地味で凡庸な作業の繰り返しだったりする。そいういう普通に生きることに飽きたり、退屈している人ははねっ返って過激なことを言ったりするけども、その発言のベース自体が凡庸で退屈な社会に保証されているというつまらん事実があるのである。


僕は、退屈な社会に飽き飽きしてるんだったら根っこの方からぶっ壊してみろよと思う。だけども、ちょっとはねっ返っている人たちは、ちくっと周りの人を不愉快にするような愚痴を言って、身近な人たちだけを不愉快にしただけで、社会全体をひっくり返すような革命を起こそうだとかそういう気概は無いらしいのである。かといって、日常に埋没するのも嫌なのであろう。


その、ちょろっと愚痴を言ってみて、自分のちっちゃな心痛を殊更大げさに騒ぎ立てて共感してもらおうとする心根自体が、飲み屋でクダ巻いてるおっさんどもと五十歩百歩で変わらんのだけど、仕方ないよね人間だもの。


ちなみにとんがった事書いてはいるけど「うっせえわ」自体は割と好きです。メロディラインがなんか好き。歌詞が面白いとおもったからこういう文章書いてます。

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