自己成長の旅:文章の魔法で経験を未来へと継承する
今日は午前中は買い物に出掛けてきて、その後、いつも海岸で瞑想などをしていた。それから午後は図書館に行きニュースレターを書いて、夜からは用事があるのでチョッパやでこのブログを書いている。
土曜日にはいつも宣伝するようにしてるのだが、僕は毎週土曜日にはニュースレターを書いて配信している。これは僕が世の中を観測してみて考えたことであるとか、今週あったニュースで僕的な考えでは今後の世の中に大きく影響するだろうなーと思う出来事などを軽くエッセイのように書き綴ってる長文レターである。
文章に関しては毎日ブログで書いているのだけど、ちゃんと目的を持って人に内容のあることを伝えるための文章の書き方を練習しないとなという目的で持ってこのニュースレターは執筆してる。や、ブログを書くときも何も考えずに書いてるという訳ではないけど、ブログ執筆については日々のルーチンという色合いが強くてどちらかというと日記の延長線上にあるような存在なのよ。
僕が誰かに何かを伝えるときにはどんな文章を書けば良いのか? と考えながら書いてるのがこのニュースレターだったりする。目標的には「スローニュース」的な媒体にしてしまおうと思っていて、世の中の出来事に対して速報性を求めるのではなく、自分の頭で考え抜いてこれはどのような位置付けの出来事なのかと分析して「僕はこのニュースを読んでこう思う」ということをきっちりと書いた上でニュースレターとしてまとめちまうというやり方でやっている。
どんなものか気になった人は下記のリンクから登録してくださいませ。今んところ完全無料でやらせてもらってる。毎週土曜日には必ず配信するようにしているし、読む人が増えると書いてる僕もモチベーションが上がるのでよろしくお願いします。
今日のニュースレターでは芸事の上達のためには言語化スキルというのが重要だよなー的な話をしたのだけど、そこんところって最近僕の中でホットな話題なのよ。
最近僕は、「上達の法則」(岡本 浩一著)という本を読んでるのよ。その中で非言語スキルの上達方法について気づきがあったのでニュースレターでもそれを書いた。
芸事、というか僕は人生全般においてそうだと思うのだけど、人間の思考の中には言語化されてないスキームで経験したすべての物事の質感が保存されてると思うのよ。その中から特定のスキルを実行するための手続き記憶のようなスキームを、きちんと言語化して整理しておいたのなら、物事の上達のためにものすごく使えるデータベースになると思ったのだ。
人間が他の動物と比べてなぜこのような文明を築くことができたのか? と問われたのなら、人間は言葉を使うことができたからである。経験したり、発生した複雑な出来事を、他人に伝えることができるシグナルを構築することで、他の動物よりも大規模なコミュニティを作ることができて、生存戦略上での知識を共有して大きな社会を築くことができるようになったのが要因だろう。
また、人類が発明した言葉という道具の素晴らしい点は、文字にして媒体に刻みつけておくことで時間を超えて経験を蓄積していけるということである。古代のメソポタミア文明では粘土板に刻みつけることで文字を残すなどのことをやっていたが、その時代の文章を我々の時代の考古学者が解読して数千年の時を超えて意味が伝わる。
僕たちは普段から当たり前のように文章を読み書きして、インターネットを通じて言葉で多くの人に意味を伝えたり、他の人の考えたことを読んだり聞いたりしてその人の経験を再体験している。あまりにも当たり前になりすぎててありがたさが分からないかもしれないけど、これは相当に素晴らしいことである。世界中にいるすべての人たちの経験がインターネットに蓄積されて、そこから適切な情報を検索することができたのならまさしく全知全能に近づくことである。
IT技術の発展というのも凄まじいことであるなと思うのだが、我々が今手元に持ってるスマホやPCというのは全世界の人々と繋がってるのである。これは現在生きてる人たちとデータのやり取りができるということだけではなく、歴史上の人物たちの作り上げてきた人類の文化に対してアクセスできる労力がものすごく小さくなった。
こういうすべての情報が巨大なデータベースとしてインターネットに蓄積されるようになった世界であれば、自分の経験を適切に運用できるスキルがあるのなら、経験を言語化して変換して蓄積することで、時間も超えて未来まで意味を残していけるのではないのか? などと考えたのである。
僕はいろんな人の意識に触れてみて、その意味を考えること、そしてその中から自分のフィルターを通して新たな意味を見つけること。そして自分の中から生まれた意味をまた言葉としてデータベースに積み上げていくことに快感を覚える。ブログを書いたりとかニュースレターを書いたりとかってその営みの一環みたいなもんでさ、自分はどうもそういうことに生きがいを感じるタチであるらしい。