さいとうなおき先生の「うまく描くの禁止」を読んだ。
イラストの描き方関係の本も読む。
さて、おはようございます。いや、このブログを公開する時間は23時半であるけど、このブログを書いている時間は5時半ごろなのである。
何を書くかね? イラストを毎日描こうとし始めて、前日にブログのネタを考えていないので、ぶっつけ本番でエディターに言葉を叩き込み始めている。前もこんな感じでブログを書いている時期もあったけど、なんだかんだで形にすることはできるけど、筆がのり始めるまで1000字程度は助走距離を付けないと駄目だった気がする。
プライベートな事であれば、昨日、さいとうなおき先生の「うまく描くの禁止」という本を読了した。
- 作者:さいとう なおき
- 発売日: 2021/03/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
イラストを上手くなるためのマインドがさまざま詰まった本であった。でも、学生ぐらいの子がプロのイラストレーターになるためのキャリアパスについて書かれていたりなど、イラストに対する本気度が高い人が読む本だと思った。
僕のイラストに対する志というのは、ちょろっと上手い絵を描いてSNSなどに発表してちやほやされていい気分になりたい、ぐらいの浅い興味でしかないので、そこまでイラストという表現での本気度は高くないなと感じた。
僕の表現方法としては、他にも小説執筆だったりブログだったりもあるので、イラスト一本で自己表現していないという点で、それしかない人たちと比べると真剣でないのかな? まぁ、ブログや小説執筆に関してでもどっちが本当に自分を表現するのに向いているのか把握はしている訳じゃないので、自分は自己理解をもうちょっと深める必要があるな。
イラストにせよブログにせよ、僕は自己表現がしたいのだな
のだと思う。自分が見えている光景、自分の感じている感覚。それらを誰かごくわずかな人にでも理解してもらうために表現をしている。
イラストを描くのは、自分が見えている光景をちゃんと形に書き出して、それを自分でもはっきりと自覚するためにやってる行いだろう。うっすらと脳裏に浮かんでいる画像の解像度を高めて、それを見える形で抽出したいなーと思っている。
あくまでその行為で目的としているのは、自己理解の目的というのが強いんだけど、それを他人に見せて評価してもらいたいと思う気持ちがあるのなら、やっぱり自己陶酔的な要素が含まれているのだと思う。
イラストを描くのでも、その人の持っている背景や思想が絡んでくるのだなとさいとうなおき先生の本を読んでいて思った。
僕がやろうとしている自己表現的な考えを突き詰めようとおもうならば、抽象画のようなアートの世界に行きついてしまうことになる。
自己表現したいだけならば、そこに美少女イラストみたいな要素が含まれている必要性もなかったりするのですね。もっと原型質などろどろとした概念をキャンパスに叩きつければよいのであって、決まった形はいらない。
でも、自分はそれでもなんか東方の二次創作を上手くやりたいだとか、他人の目を気にした絵を描こうとしてしまう。そこんところの自己表現と他人に良く見せたくなる気持ちの割合の比率が決まってないのであり、それをハッキリさせたいよね。
自分はどうなんだろ? 今の所、またイラストを描くのを再開したばかりという段階で、そういう自己表現の比率というのが決まっていないので、ただ手を動かすのがたのしー程度の段階なのだけど、突き詰めていくとそういう自分と他人の境界線の壁にぶち当たるのである。
こりゃ、文章にしたってそうでして、売れるための作品と自分を表現したいための作品をどちらかを極めるかは、最初の段階で選んでおく必要があり、両方のバランスを取るのが優れている人がプロになったりするのである。
まとめ
さいとうなおき先生の本の中でも、そういう事について触れられていたんですけどね。さいとう先生はプロのイラストレーターなので、本気で売れる絵を描くためには自分の個性なんて捨てろ的な事を書いてたりするのだけど、プロがイラストを描こうとするのならば一度、そういう所まで行きつく必要があるのだろう。
自分が文章を書いていて感じていることもそんなところで、自分自身が理解している個性程度というのは自己理解としてもそんなに深くないんですね。一旦、徹底的に型に嵌めてみて、それでもどうしてもはみ出してしまう捨てられないものというのが本当の自分だったりする。
僕のもっている箴言の一つに「型にはまらない自意識は見るに堪えない」という言葉があるんですけど、これはまさしくそういう意味をあらわしているんですよ。型を守り、型を破り、型を離れていく。そうやってようやくエゴというのは他人が見られる程度の状態になるんです。
それを理解もせずに、原形質な自分の妄想を垂れ流して、なんで自分の作品は理解されない?と言ってるようなワナビというのは沢山いるけど、他人が見ても心地よい調和を理解した上で、評価される作品というのは完成する。
僕が自己表現について考えているのはそんな感じの事で、実践はできていない。これから絵を描いたり文章を書いたりしていく表現の中で、そういう自分なりの比率というのは掴んでいきたい所である。