超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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兎角、効率性に毒されがちな社会ではあるな。

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兎角、効率性に毒されがちな社会ではあるな。


さてー、結構疲れてるな。今日は建国記念日で休みだったけどうちの会社は休日出勤であった。なんか僕は睡眠時間とか短くて週末頃はもうくったくたなんだけど、今日は火曜日だけどわりかし疲れてんな。


なんかね、効率性とかに毒されてる気がする。僕の生活は分単位でルーチンが決まったりして、気が休まるタイミングがなかったりする。こりゃ最近改めないといけないなーとか色々考えたりしてる。こういうツイートもあった。



一日の中で意図的にだらだらする時間も必要なんじゃないかなと思う。あんま過密スケジュールで効率性を求めて毎日走り続けても遠くまで行けない。僕自身は別に今の生活とのこと苦しいと思ってないんだけど、やっぱ夜になると疲れを感じたりとか精神的・肉体的に疲労が来てる感じはする。どっかでマンネリ化を防ぐような手立ては必要かもしれない。


今日はどうしますかね? 「効率化に毒されてはいけない」ということをテーマにしてあと1500字ほどしゃべくってみますか。


現代の宿痾の気がするんですけど、便利じゃなきゃいけないとか役に立たないといけないとかみんなしてそういう事ばっか考えすぎな気がするんですよ。資本主義社会の特徴な気がするんですけど、何もかもがゴーイングコンサーンでずっと業績右肩上がりで成長し続けなければならないみたいな考え方が個人まで浸透している。


例えばブログにしてもそうなんですけど、もっと多くの人に読まれなければならないとか、そのためには読んだ人に役に立つ文章を書かなきゃいけないとか、みんながみんな人を押しのけてピラミッドの上に登ろうとする。 雑記ブログと特化ブログの対立だったりでもそうなんですけど、一部の人たちは役に立たないから日記ブログなんて書く必要ないなんて言ったりします。


そういや、まけもけさんがこういうエントリを書いていましたね。


www.gw2.biz


ブログで日記を書くなという人たちはいるみたいです。なにをアホなこと言ってるんだろうと思うんですけど、他人に読まれて便利な記事じゃないと書く意味がないと考える人達はいるみたいです。


それはまあ、 Google で検索してヒットした記事が、全部僕のブログみたいに主題があるんだかないんだかわからわからないようなだらだらした長文ばかりの検索エンジンだと誰も使わないでしょうけど、 Google でヒットしないからその記事には価値がないと決めつける人は効率性に毒されてんでしょうね。


世の中のウェブサイトが全部効率的で役に立つ記事ばかりなると、それある種のディストピアですよ。想定されるのは Google でヒットするのが全部「いかがでした記事」ばかりになるのがそういう世界ですよ。 SEO 的に有利だとされているのは、読み手に労力をかけずに必要な情報だけを与える記事である。そのためにはだらだらと長文書くよりは短く要点だけ絞った方が良いとされている。だいたいまぁ、「脱毛」とか「ダイエット」とか「クレジットカード」などでGoogle検索してヒットするような記事というのはそういう SEO 的に最適化された記事である。


ブログで SEO を勉強してジャンジャンバリバリ稼ぎたいって人は頑張ればいいと思うけど、別にブログ書いて楽しみたいって人たちまでアクセス数を増やす必要はないです。好き勝手書いてあればその記事を読んで気に入ってくれた人が読者登録などをして読んでくれるし、書きたいことが書けなくなるとブログが続かないです。


僕がブログを書くのは、日々の生活を丁寧に生きて充実した人生を送りたいという風な目的のもとなんだけど、以前そういうことまとめとこういうエントリも書いたな。


www.ituki-yu2.net

僕が人生の価値観に置いているものは日常の密度だな。淡々とした日々であっても丁寧に過ごしていく事で美しく輝く。歳を取るほど使える経験が増えていってどんどん熟成していく。珈琲を淹れて飲む。自炊をして美味しいものを食べる。図書館で本を借りてきて読む。ブログで毎日どうでもいい事を書く。その様な日常の出来事を丁寧にこなす事は、幸せを育ててる気がしてそんな悪い気はしない。幸せの青い鳥は身近にいる。


僕が毎日ブログでわざわざ文章を書く理由は、日々をちゃんと噛み締めることで内面の思考を深めて細かなことも気付くためだったりする。毎日のどうでもいいこともちゃんと丁寧に生きて、その細やかな襞を感じ取れる感性を身に着けておきたいのだ。


僕は老後はある程度自由な時間で晴耕雨読の生活を楽しみたいと考えているので、そういう日々の出来事で起きた細かな違いを感じる感性を若いうちから鍛えておきたいと考えている。.


世の中とかく効率性に毒されている世界ではあるので、無駄も愛すると言う考え方は持ってた方がいい。

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