「40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか」(河合薫著)なる本を読んでいる。
土曜日である。今日は親戚関係の集まりに出席してきたのであるけど、そのために若干精神が不安定になっている。まぁ、諸事情あるのであるが、このブログであんまプライベートすぎる悩みを書くのも問題が色々とあるのだ。
しかし、そういう匂わせ文章というのが一番性格が悪い。どこかでこの悩みを吐き出して言語化しておかないと今後ももやもやと悩み続けそうであるけど、説明がものすごく難しい。どうもうちの家族関係というのはものすごく複雑であり、祖父や父親のやらかしを自分が後始末やらされてるという感じの話である。
沖縄の墓関係の話というのは、財産相続も絡むし話が拗れるとものすごく厄介な話になる。しかも沖縄だけのしきたりとかが大量にあるために、ブログで書いたところで理解できる人がいないだろうなーと考えている。また、自分じゃなくて身内の恥の話でもあるし、そういうのを全世界に公開というのも感心しないんだよね。だからまぁ、この問題についてはカウンセラーとでも話あってこようと思う。
なんか、自分の人生ってそういうのばっかりだよ。僕も自己主張ができないのが問題かとは思うけど、調子ぶっこいてるやつが好き勝手やらかした後始末を押し付けられて、どんちゃん騒ぎが全部終わった後に一人きりで散らかった部屋の掃除をやるような人生だよ。とくに家族関係では父親も母親も好き勝手放題やって、子供である僕と妹の二人でその後の責任を取らされてるようなのがたくさんある。
やーな雰囲気になってきた。こういう書き出しで始まったブログでは自己憐憫ばかりをやって、書くことで傷つくばかりでろくなことがない。もとより自分の人生というのは最初からハードモードなのである。だから、これらのことをクヨクヨと悩んでると悩んでるだけで人生が終わるのである。人生ってのはままならんもんであるから、別に成功して何者になろうとは思わんけど、ひとまず前向きに恥じるところなく生きて、死ぬ時に「まぁこんなもんだろ」と納得できるような生き方をしようと誓ったのである。
まぁ、必ずしも前向きに生きねばならんというのは他人に押し付ける気はしないけど、ひとまず僕自身は何かしらの理想を持って姿勢を正して生きるということがQOLにつながるというところがあるんだよね。これは本当に気をつけてるんだけど、僕は頑張ることや頑張ってる人というのは好きなんだけど、他人に対して努力を強要することだけは絶対にいかんと思うのである。
僕自身は何かの目標に向けて必死に頑張ることは素晴らしいことであると思うんだけど、他の人が頑張ってないことを理由にして説教したりするのは絶対にしない。仕事の上でもどうしても頑張れない人というのもいるけど、そういう人も何かしらの事情があってやる気が出ないとかあるだろうし、本人が自主的にモチベーションを持って共通した目標に向けて行動できるように方向づけするのが大事だと思ってる。
最近、「40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか」(河合薫著)という本を読んでいる。
書かれていることは、今40代ぐらいの世代である就職氷河期の世代というのが、いかに団塊の世代とかバブル時代の世代の尻拭いで抑圧されてきて、そして何もできないままに社会から切り捨てられようとしてるという事である。この本の中での名称は「スーパー昭和おじさん」の、言い方は嫌いだけど「上流国民」の今の社会の支配者層の既得利権のために、氷河期世代というのは「なかったこと」にされようとしてる。
まぁ、読んでいて実感としてわかるね。僕も氷河期世代直撃なもんで、就職活動の時にひたすら落とされまくって妥協して誰でも入れそうな会社に決めたような感じであるしな。僕が新卒ぐらいの時代って、プログラマってすごく身分が低かったんだよね。低賃金で連日徹夜仕事をやらされて、それでメンタル病んでも代わりはいるからいくらでも使い捨てできるという、コンプライアンスなしのあからさまな態度で企業が存続できた時代だよ。
僕らの世代ぐらいから、非正規雇用で使える間だけ人材を使って使い捨てにするという企業のやり方が常套手段になった。ずっと非正規だったから40代になっても正社員になれないとか、ブラック企業で使い潰されてメンタルを病んで障がい者になって路頭に迷う人が氷河期には飛び抜けて多い。
この本はその辺りの氷河期世代の社会問題の提起と、何者にもなれなかった40代に対して今後の生き方の方針を考えようと提案してる本だよ。結論は、「氷河期の自分の立場や社会を恨んで復讐を考えてもどうしようもない。自分がやる仕事に対して誇りを持って成し遂げることが内的な成功の鍵になるよ」的な感じ。だいたい僕も同意見である。
僕はまぁ、与えられた条件に対して色々と工夫をした上で押したり引いたりしながら問題解決を図っていくことを、自分のためにやろうと思う。40にもなった人間が親のせいだの社会のせいだとか言い訳してるのも子供っぽいであるし、自分がこの世界をサバイバルするためにはどんな風なやり方があるのかと、工夫をしながら頑張ることが楽しんで人生を生きることにつながるのではないかと思う。