超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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海を見ながら自分なりの幸せというのは何なのか考えた。

海を見ながら自分なりの幸せというのは何なのか考えた。


今日は久々に完全に1日フリーの休みであるので、友人と共に読谷にある星野リゾート・バンタカフェでコーヒーを楽しんできた。Instagramにも写真を投稿しておいたのでそちらの埋め込みもしておくか。



ちなみにバンタカフェ場所はこちらである。海を眺めながら食事をするには良い場所であると思うので、沖縄に来てみた時は行ってみるのも良いよ。


banta-cafe.com



その後、沖縄市のプラザハウス内にある「Humming Coffee」でコーヒー豆を購入してきた。こちらは友人曰く、浅煎りのコーヒー豆が美味しいコーヒー専門店ということでひとまずグアテマラのコーヒー豆を200gばかし購入しておいた。こちらもMapと公式情報を掲載しておく。


Humming CoffeeのInstagram



さて、あっという間に日曜日の休みも終わりであり、夕方の17時ごろにこのブログは執筆している。やっぱり日曜日の夕暮れというのは鬱になる時間帯なのであるが、最近、ポケモンスリープで睡眠時間を安定させるようにしてその嫌気というのも多少は減少したかなと思う。


今日は朝からとくに予定もなくてフリーの日であったから「純度100%の休日」として今日は完全OFFの日にしている。ここ最近は転職関係とかでもやんもやんと悩んでることが多く、それ以外にもいろんなプライベートの問題で悩みも抱え込んでるので友人と話しながらドライブをしていた。


ちなみに僕の交流関係というのは異常なほど狭く、今でもまともに付き合いのある友人というのはこいつ一人しかいない。ここまで付き合いの狭い人間がこの世知辛い憂世を渡っていけるのかと思うのだが、それでもなんとかなってるのだから仕方あるまい。


しかしまぁ、世間の40代のサラリーマンで、友人がたくさんいて休日も集まってワイワイと遊んでる人間というのもなかなか居ないような気がする。大体同世代というのは僕らの年齢ぐらいには家族もいて、休日は家族サービスで遊ぶ暇なんぞないだろうし、そもそも休日は休む時間で友達と遊ぶ気力なんてなくて交流関係が狭まってる人がほとんどでないかと思う。


どうもそのあたりの話はあんまりしたくない。自分の今の立ち位置というのを世間の同世代の人間と比較をしてしまうと死にたくなる。なんかいろんなトラブルで人生逆境の状態で生き抜いてきたために、一般的な世間的な幸せとは縁遠い立場になってしまったのであえて客観視はしないようにしてる。僕が今まで生きてきた人生であると生きてるだけでもわりかし奇跡的なんだ。


この友人もなかなかに自意識を拗らせた性格のせいで色々と問題ありなのであるが、この二人で世間的な成功というのはなんであるかとか色々と考えながらドライブをしてることが多い。そもそもここまで個人主義が隆盛した時代において正しい世間的な成功なんてものを目指す必要があるのであろうか?


世間の人生のレールというやつは、「きちんと勉強をして一流大学に入る→就職活動をしっかりとやって大手の企業に新卒で入る→仕事を頑張りながら周りに認められて徐々に昇進する→プライベートでは適当なところで結婚してしっかりと子供も作る→いずれ家を建てたりして老後に向けて準備していく」みたいなパターンで普通に生きて、家族を形成していきながら次の世代に向けてライフステージをこなして行く。


どうにも僕は完璧にその手の世間的な普通の幸せという風なレールからは完璧にドロップアウトしており、下手をするとまともに食っていくための仕事にもことかくというハードモードの人生を送っている。何が悪かったんだろう? とたまに考える。人に言われた仕事を断れない優柔不断な性格であったりとか、自分の気力や体力の限界というのを軽視しすぎたことが主な原因であるよなーと思うけど、40にもなった年齢でそれに気がついてもなんの腹の足しにもならんことであるなーと思う。


そういう世間での立ち位置についてはもう悩まなくなったよな。そのような内容でマウントを取ってくるタイプというのは自分がトラブルで困ってた時に助けてくれるような人ではないし、こちらの方でもそんな人とは付き合う気がない。世間的な幸せ競争から降りてる立場であるからこそ見える境地というのもあるであるし、身軽な立場であるからこそ色々と今の年齢でも自由に立ち振る舞えてるというのもある。


自分の立場からさまざまな世間の出来事であるとか、世の中で起きてる変なことを見た上でしっかりと思考をして文章を残すことが自分なりの生存戦略というのもあり得るんだなと思う。そうして情報発信を行なっていて出会った人たちとしっかりとコミュニケーションを取る事で、自分なりに見つけた価値を次世代に伝えていくのでもいいのではないかな?


僕は自分が経験してきた事だとか、見てきたこと考えたことをしっかりと文章やその他の手段で伝わるようにコミュニケーションを取る努力をする必要があるんだと思う。そもそも人間というのがすべからく役立たねばならぬというのも資本主義に毒されすぎなのであるが、情報のやりとりをして誰かの役立てることができることは僕自身の喜びでもある。ここ最近はこういう拗らせた事ばかりを考えているなぁ。

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