超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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自分の半生を小説にするのをやってみたいんだよね。

自分の半生を小説にするのをやってみたいんだよね。


ダルダル。今日は調子悪い。ちょっと会社でストレッサーの同僚に詰められてメンタルが焼けついちゃってる。数年前に埋めていた地雷のようなバグが最近になって爆発してね。どうやら自分が仕込んだものらしいので、全責任負わされて周りに言いふらされた。


ほーんと嫌なるよね。自分自身も隙だらけであるのはわかるけど、この人に必要以上に詰められたせいで仕事の上での自己肯定感とか地を這うような状態だよ。うちの会社の人事考課は自己採点でやってきたこととかPRするんだけど、自分はもうめんどくさいからどうでもいいやって感じで全部低評価にしてるよ。この会社については来年まで勤めてるかどうかも怪しいもんだし、別に今更上司から評価される必要もないしな。クビにされるんだったら自分で辞める手間が省ける。


ひとまずまぁ、こんな心理的安全性のない職場で働き続けてると自己肯定感が下がってきてヤケクソになって暴走を始めちゃうからな。さっさと転職せにゃ。僕が今の統合失調症を発症したときもブラック企業で飼い殺しにされて、毎日怒鳴られながら毎日終電後まで働くという働き方をしてると見事に被害妄想発症して比喩でなく何度か死にかけたからね。


なーんじゃろ、僕の人生というのもつくづく不運と踊りまくってるけど、僕らぐらいの就職氷河期世代というのはこういうエピソード多過ぎじゃないか? 就職氷河期が非正規でずっとワープアで飼い殺しにされてたり、バブル世代にいじめられてメンタルぶっ壊して生活保護受けてる話とかネットをフラフラしてるといろんなところで聞くぞ。しかも我々氷河期世代ぐらいの歳からは年金削って死ぬまで働くのが当たり前という流れになってる。つくづく国に舐められてる世代であると思う。


あー、ムカついてきた。いかんいかん。腹を立てたところで自分がダメージを食うだけで何もいいことないんだよな。最近、長野旅行に行ってきて、ブログも気分良く書くことができてたのにここにきて元の木阿弥だ。ひとまず適当にコーピングをして夜は早く寝てしまおう。


んー、確かに僕の人生は理不尽の連続だし、就職氷河期世代の人間たちというのも奪われる一方で報われないもんだなと思うけど、それで誰かを恨んだりとか自己憐憫したところで何1つとして事態は改善されないんだよな。


とりあえずさ、最近の生活の中で気をつけてることがあって、そもそも思考の発想自体を変えちまおうと思ってるんだよね。こういう時、僕は哲学者アランの「幸福論」の中の言葉を座右の銘にしていて「悲観主義は気分であり、楽観主義は意思である」と唱えてる。他にもScrapboxにいろんなやる気出す言葉を蓄積していて、それを読み返すとやる気出る。


前半部分の方の話を聞いてみりゃわかると思うけど、僕の半生って結構理不尽なことの連続で、不貞腐れてまじめに生きることを投げてしまうと、即座に社会の底まで転げ落ちるゲームオーバがあるぐらいのランクの低いところで生きている。


ムカつくことがたくさんあっても、曲がりなりにもちゃんと仕事とか生活でやるべきことをやったりとか、自分の意思でコントロールできるところは改善をして徐々に生活を良くしていく工夫をしてるからかろうじて今の生活も好転してきてる。


ほんとさ、僕は閉鎖病棟保護室みたいな人生のどん底の時期とかを体験しちゃったもんだから、二度とあんな世界には戻らないと誓っちゃったのよね。保護室ってのは、檻がついていて中にはトイレの便器と地べたにマットレスしかない個室で、自傷したり暴れたりするもっとも状態が重い患者はしばらくここに隔離されるのよ。


この辺りのエピソードとかも余裕があるんだったらどこかでまとまった文章でまとめておきたいなと思うんだけど、こういう体験をシリアスに文章に書いたりするとその時の記憶が戻ってきて壮絶に病むのよね。どうも、こういう統合失調症の体験記みたいなもんを小説にして半フィクションでまとめたりするのは、社会的意義のある仕事でもあるしいつかはやってみたいことであるなとは思うんだけどね。


ほんと、こういう病気を発症した原因から閉鎖病棟の中の様子とか、そこから授産施設を経由して社会復帰をして障がい者雇用で働くことまでしっかりと1つのまとまった作品として書くことができたのならば、上手くいきゃ新人賞を取る可能性もあるんじゃね? 


最近、芥川賞を受賞した「ハンチバック」の市川沙央さんは、筋疾患の「先天性ミオパチー」の当事者であるらしい。そして今まではライトノベルを書いてたのが、自分の半生をモデルにして純文学を書いてみたら芥川賞を受賞したとのことだ。


www3.nhk.or.jp


こういう芥川賞の路線があるのであれば、僕が統合失調症の人生の生き方をテーマにして小説を書くのもありじゃね? って思ったりする。僕は東方Projectの二次創作であったりとか、オリジナルでも玲と真輝の小説で5万字程度の中編は書けたりするのだから、やろうと思えば不可能なことではないんだろう。


村上龍氏が「小説家というのは最後の職業」と言っていた。人は誰でも人生に1つは小説を書くことができるという話も聞いたことがある。人生のライフワークとして、自分の体験したことを小説としてまとめて見ることはすごく面白そうだ。

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