超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕は文章を書けるようになるためには「書く理由」を見つけるのが大事だと思う。

僕は文章を書けるようになるためには「書く理由」を見つけるのが大事だと思う。


休日日曜日。今日は午前中に母親を歯医者に連れて行き、午後からはコーヒーを淹れて図書館に本を返しがてら、予約してる本を借りるために行ってきた。


今日は那覇ラソンのために58号線が閉鎖されており、那覇近辺がものすごく渋滞していた。そのため、午後はろくなことができておらずなんとなく不完全燃焼な休日であった。


さて、何を書いたものか? 今日はとくに話題になりそうなことをやっておらず、思考も気だるい感じでありなんか微妙に調子が悪い。どうも最近気がついたのだけど、日曜日の夕方に何もせずに自室で過ごしているとサザエさん症候群でメンタルにダメージを喰らってくる。勤め人にはありがちな症状かもしれないけど、そういう感情があるなーとメタ認知して言語化するだけでも気分が随分と違うので、ひとまずブログにも書き出しておくのである。


今日は書きたい話題がない。ブログを書くときというのは、夕方ごろからじわじわと今日は何を書くのかということを考えて、それでなんとなく今日書く話題のアウトラインを構想しておき、そこから夜に勢いでダダダっと書き出してしまう。しかし、毎日更新をやってると気分が乗らない時は時折やってくる。そういう事があるというのは何度かブログでも書いてきたけど、まさしく今がそのやる気がない時である。


僕のブログの書き方のタイプとしてはジャーナリングの亜種みたいなものかもしれない。ひとまず時間になるとエディターを立ち上げて、その時に頭の中に浮かんだよしなしごとを自動書記のように書き出していき、そこの中から話題を1つ見つけて文章化していくという手法である。


この書き方というのはジャズのセッションのようなものであり、僕自身でも最後まで書き上げてみるまではどんな文章が出てくるのかというのは分からない。一応、文章の書き方については色々と勉強しているので、最初の段階で箇条書きで書くべき内容を整理して、ちゃんと構成を考えて書くというやり方をやってたこともある。だけど、毎日更新でやるにはめんどくさすぎてやめてしまった。


studyhacker.net


こういうインタビュー記事を見つけて、良い文章を書くための方法を教えてやるということだから読んでみたけど、個人的には全然刺さらなかった。


んー、なんかね僕は文章を書くことについては、周りが止めようがどっかで書けるところ見つけて自分勝手に書いてると思うのよ。意識高めにビジネスマンとして成長するために書くというよりは、心の中の内圧をこんな感じで定期的にガス抜きしておかないと精神的にパンクするから書き続けてるという感じであるのよ。文章を書くことは趣味であり、こうやって思ってることを言語化するのが楽しいから、娯楽としてブログを書いてるようなもんであるのよ。


世の中で良い文章と呼ばれるものは、最近だとSNSなんかでインプレッションを集めて高評価で、多くの人に役にたつ文章が素晴らしいと言われてる。でもって、Webでの文章もそういうものが稼げるということで、文章読本でもそういう「儲かるための文章の書き方」とか「役にたつ文章の書き方」を紹介するのが主流になっている。


僕は毎日このブログでブログを毎日更新し続けて七年以上は続けてきたけど、そういう利益になるとか功利主義的な考え方で文章を書く方法だと絶対続けられないと断言する。役にたつとか、他人からよく見られたいから文章を書くという理由では、書き続ける理由として弱すぎる。そもそも、書き続ける人というのは自分が書きたいから勝手に書いてるもんだし、他人が書くことが良いと勧める本を読んで書き始める人というのはそれほど書きたいと思うことがないんでしょ。


別に文章を書く以外にもインターネットが発達した世の中では暇を潰す娯楽というのは無限にあるもんだし、ブログオワコンと言われるように長文でなんかを表現するという情報発信に関しては完全に斜陽であるし、文章を書くことに対してやりたい明確な理由がない人がなんとなくではじめてメリットってない気がする。


disってるばかりでは何も建設的でないからどうすりゃ文章を書けるようになるのかと、自分なりの文章を書けるようになる方法も書いておく。どうしても文章を書きたいと思うのならば、そうやって書きたいと思うことの原体験というのがあるでしょ。子供の頃に読んだエッセイが面白かったからあんな文章を書いてみたいとか、ネットで見つけたブロガーさんの文章がめちゃくちゃおもしろいとか。そういう原体験についてよくよく自分の中で掘り返してみて、自分なりの「書きたい理由」というのを徹底的に磨き上げることというのが重要であるよ。


僕の場合だと、小学生の時に椎名誠さんのエッセイを読んでゲラゲラ笑い転げたから、エッセイにはああいうおもしろい文章もあるんだというのが原体験だよ。それから文学少年になった僕は図書館で毎日本を読み漁る本の虫になってて、今のように読まれなくとも文章を書き続けてる理由というのはそこんところの原体験が忘れられないからだ。


知識を知るための文章とか役に立つ文章みたいなもんは、それこそAIのほうが上手く書けるかもしれない時代である。そういうAI時代でいまだに人の手で文章を書き綴る人たちというのは、書く事がやめられなくなっちゃってる人だけだ。そういう自分で書くことでしか見つからない質感というのはあるし、それを知りたいと思うのならじっくりと自分の内心に向き合うようなめんどくさい手間暇ってのが必要な気がするけどね。

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